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【花ひらく暮らしと地域―JA女性 四分の三世紀(9)】「わたし」に目覚める<中>家計簿記帳に挑んで2021年11月22日

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「国破れて山河あり」と言われた飢餓の夏から、コロナ禍を乗り越えて新しい時代に挑む今夏まで76年。その足どりを、「農といのちと暮らしと協同」の視点から、文芸アナリストの大金義昭氏がたどる。

■無一文からの出発

許された久しぶりの里帰りにも、農家の嫁には現金の持ち合わせがなかった。嫁ぎ先から小遣いを手渡された嫁でさえ、使い惜しんで実家に徒歩で帰った。路線バスが走り、土埃(つちぼこり)の舞う田舎道を歩く。幼子を背に、やっとこ歩けるようになった子の手を引き、重い荷物を下げて帰省する嫁が少なくなかった。

たまの里帰りに、それでも嫁の心は弾(はず)んだ。実家に戻り、寝だめ食いだめをする。それが楽しみだった。

評論家の丸岡秀子が昭和28(1953)年8月に著した『女の一生〈村の図書室〉』(岩波書店)に次のような件(くだり)がある。

嫁の小遣(こづか)いの問題をきいてみたら、それこそほとんどの嫁が、実家の母からみついでもらうといい、姑や夫からは、正月とか祭りに、わずかにもらう程度(ていど)だというのです。福島の一人の嫁は、結婚後、十三年たって現在三十歳であるが、実家に帰るとき、汽車賃を夫から貰って行く、帰りはいつも足りなくて、実家から貰って来なければならない、と書いています。また四十七歳になる滋賀県の嫁の一人も、「嫁にきて、五、六年間は、全部実家からもらっていたが、その後、夫から内緒(ないしょ)でもらって自分の小遣いにしている」といっていますし、千葉県の一人は、「四十五歳の今日、まだ夫から正月、盆、祭りなどに少しずつ貰うのをためておいて、自分の下着類を買っている」といっています。(中略)

だから、どの嫁も小遣いにはいつも不自由しているので、希望はときかれると、一番さきに、お金がほしいとみんな書いています。そこで、母たちがへそくりをためることもわかるわけです。姑は、それを他家へ出した自分の娘にこっそり渡し、嫁は里の母からもらうという堂々(どうどう)めぐりをくり返しているわけです。

なぜ、こんな話を持ち出したか。無一文で財布も持てなかった農家の嫁が家計簿記帳に取り組むために、どれほどのハードルを飛び越えなければならなかったかということだ。

農協婦人部は早くから「農家経済の計画化」を唱えた。家計簿を記帳し、家庭生活の実態をつかんで「生活設計の樹立」を目ざす。昭和30(1955)年12月の第1回全国農協婦人大会では、雑誌『家の光』に家計簿の付録をつけてほしいと要望している。

「家の光家計簿」は、昭和28(1953)年に刊行した臨時増刊号の「久美愛家計簿」を嚆矢(こうし)に、その後は改名して「図書」扱いになっていたが、これを『家の光』の別冊付録にしてほしいと求めたのである。その願いは昭和38(1963)年12月号から実現し、農協婦人部はこれを機に「全戸記帳運動」にいっそう力を注ぐことになる。経済の高度成長を背景に、地域ぐるみで「暮らしの協同設計」運動(昭和37〈1962〉年)を始めていたこともあった。

「十年ひと昔」というけれど、農家の嫁も現金に触れる機会が少しずつ増えていた。

■見えてきた「立ち位置」

農協の生活指導員や普及所の生活改良普及員が家計簿記帳を推奨するたびに、きまって噴き出す女性の苦情があった。先の丸岡も『女の今日』(昭和36〈1961〉年9月・雪華社)の中で、「毎日つけるのは面倒で続けられない」「お金の計算ばかりしていると、生活に潤いがなくなる」「貧乏暮らしでは、つけ甲斐もない」「営農と家計が未分離でつけにくい」といった声が必ず上がったと伝えている。

それはそうだろう。『農村婦人の生産活動(農業近代化選書7)』(昭和37〈1962〉年6月・文教書院)でも、秋田県金浦農協婦人部の柴田美津子が次のように記している。

日頃、鉛筆と生活していない主婦たちに、にわか仕込みの記帳指導はいささか困難でした。決算の仕方、一カ月分の例題など克明に講習すればするほど、主婦たちの表情は硬くなってくるのを感じ、(中略)ただちに反動が表面化してきたのです。

「いくら記帳を教えられても、主人がさいふを握っていて、ほんの小さな支出だけしか手がけられない。記帳講習をする前に、まづ主人教育をしてほしい」

「いまさらこんな面倒なことを家中で忙しいのにやらせなくてもよいではないか」「自分の貧乏を人前にさらせるのか」「こんなことをやらせるなら、婦人部の集会に出たくない」などの苦情が主婦の口からやつぎばやにでてきました。

励まし合ってそんな声を乗り越え、「思いがけない方向」が見えてきたと柴田は続けている。

いままで、主人のふところ奥深くかくされていた貯金通帳が、しだいに主婦の手に渡ってきたことです。お金の出し入れが、家中の相談でおこなわれ、家の経営の良し悪しが家族全部で話し合うことになったのです。農協では、この頃女の人(主婦・嫁)が貯金のはらいもどしにくるのが多くなったといっていました。この大きな変化。家の光家計簿は農家の暮しの形をすっかり変えてくれたのです。

同書で宮崎県都於郡農協婦人部の活動を紹介した大久保キミ子も、生活改善に必要な現金を生み出すために養豚に挑んだ女性たちに触れ、こう言及している。

先だつものはお金、ぎりぎりの生活の上に、さらに主婦たちのふところからだせる金は一文もあるはずがありません。昔ながらの家父長的権威主義者のもとで、財布をもたされず、働くだけの人間、ドレイ的ともいえる主婦たちの存在はまことにみじめです。しかし婦人たちには勇気と実践力がありました。

女性たちの窮地を救い、子豚を貸し付けてくれたのが農協だった。すでに失敗していた夫たちは反対し、「骨折って借金、あげくのはては首くくるようなもんタイ。(中略)やめっちまえ」と苦い経験を盾に壁になった。そんな夫たちを説き伏せ、夢を実現する顛末には触れない。

何を言いたいか。無一文の女性たちが家計簿記帳に挑み、あるいは経済活動に挑戦して獲得したものは何かということだ。それは、家の中ですべてをあきらめていた妻が、夫と対等に語り合える「立ち位置」だった。「人間として」根こそぎ奪われていた「わたし」の奪回と言い換えてもよい。

妹の車で茨城県大子町のリンゴ狩りに出かけた。左は「ふじたりんご園」代表の藤田邦成さん。栽培管理が行き届いた見事なリンゴ園に感銘した。

(文芸アナリスト・大金義昭)

「わたし」に目覚める<中>家計簿記帳に挑んで

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