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「臭い飯」、麦雑炊【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第209回2022年8月11日

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話はまた麦とろ・牛タンに戻るが、そこで使われる今の麦ご飯は、かつての麦ご飯とは違っている。かつてはもっとまずかった。ちょっと臭みがあり、固くて粘り気のない麦が口の中でごそごそしたものだった。米に比して麦が多かったりしたらましてやおいしくなかっただろうと思う。

今から20年以上前の私事になるが、東北大を定年退職した後、北海道網走市にある東京農業大学・オホーツクキャンパスに7年間常勤することになった。それを聞いた人たちの何人かが「7年の刑で網走監獄に服役ですか」と冷やかした。東北の地方紙『河北新報』の当時の編集局長などは「政治犯でいよいよ『臭いメシ』を食うことになりましたね」と言って笑った。何しろ網走は政治犯を収容した監獄があったことで有名、しかも私は昔でいえば政治犯で捕まるような発言や行動をしてきており、こう言われてもしかたがないのだが、この「臭いメシ」とは、ご存じの方も多かろうが、実は麦飯のことだった。

刑務所では麦のたくさん入った飯(「ごはん」というより「めし」と言った方がいいだろう)はましてや臭く、まさしく「臭いメシ」を食べさせるところだったのである。

町でも村でも、貧しい家は、また気象条件等から米をつくれない農家は、こうした麦飯を食べた。臭くてまずかったが、麦飯を食べるといいこともあった。戦前の日本で大きな問題となっていた病気の「脚気」にならなかったことだ。ご存じのように麦に含まれるビタミンB1がそれを防いだのである。だから貧乏人はかからず、脚気は金持ちの病いだった。もちろん、貧乏人はそれを知っていて麦飯を食べたわけではなく、米を買う金がないから麦を食べただけだったのだが。

それはそれとして、この麦飯をおいしく腹の中に押し込むのにはトロロがいい、かくして前に述べた「麦とろ」となったのではなかろうか。また戦後の食糧難のなかでのまずい麦飯、これを抵抗なく食べるのには牛タンが合う、こうして牛タンと麦ご飯が結びついたのだろう。

今の麦ご飯、かつてと違って食べやすく、おいしくなった。「押し麦」に加工された麦が用いられるようになったからとのことである。麦とろ、牛タンと麦ご飯、ますますおいしくなっている。ぜひ仙台に来て食べていただきたい。

ただ一つ気になるのは、牛タンの大半が輸入物だということである。しかし、外国では食べずに捨てる牛タンを有効利用しているだけであり、世界の食糧問題や環境問題を悪化させることもなく、しかも日本人が開発した食文化、これは許せるものと考えている。

ちょっとだけ脱線させてもらいたい。

網走刑務所は重罪犯人の入るところというイメージがある。そして網走に悪い印象をもつ人もいる。しかし今は昔と違って3~4年までの割に軽い刑の人が入るそうだ。だから、オホーツクキャンパスの教員仲間は私に言ったものだった、仙台の刑務所は死刑や無期懲役の囚人が入るところ、仙台の方が重罪犯人がいるところなのだ、網走に対するイメージを変えてもらいたいと。続けて言う、仙台で終身刑で終わるところだった先生を私たちが七年の刑に軽減してやったのだと。軽減してもらったどころではない、網走では本当に楽しい生活を送らせてもらった。「臭いメシ」どころかおいしいオホーツク海の肴と農林産物で楽しませてもらった。暗いイメージなどは一切なかった(残念ながら、先日の知床の海難事故、まったくイメージダウン、あの船主には頭にくるが、あれは例外中の例外、そう考えてもらいたい)。

いうまでもないが、この麦飯の麦、これは大麦である。大麦は小麦とともにイネとほぼ同じころ大陸から伝来して、栽培が始められたと言われている。この麦類は寒い地帯でもつくれる、水が少ないところでもつくれる、米の裏作としてつくれる(これは東北・北海道では無理だったが)ということから全国的に栽培されてきた。

もちろん難しさはあった。収穫期が梅雨の時期とぶつかるからである。麦は多くの雨に当たると穂の状態のままで発芽するいわゆる「穂発芽」してしまい、品質が低下し、さらには食べられなくなってしまうのである(だから、とくに小麦などは梅雨のある日本に適していないとまで言われたものだった)。

しかし日本人はこうした困難を克服しつつ麦の生産を発展させてきた。そして大麦は米飯の増量剤として、補助食料として主に用いられてきたのである。

しかし、大麦を主食の一つとしているところもあった。たとえば岩手県の北上山地の中心部葛巻町では大麦を雑炊にして米飯・ヒエ飯のかわりに食べていた。

たとえば、煮干しを入れた味噌汁で大麦をじっくり煮こみ、それに好みのもの、たとえばササゲ(紫)、大根の千切り、ゴボウ、ニンジン等を加えてまた煮込んで食べた。これはおいしかったが、煮るのにかなり時間がかかるので、雨の降る日、つまり外で働けず、家の中にいるのでゆっくりと煮込める日にしか食べられなかった。だから雨の日は楽しみだったともいう。

しかし、もう今は食べなくなった。大麦は栽培もしていない。でも、もう一度「じょうすい」を食べたい、こう葛巻のお年寄りがいうほどおいしかったようだ(注)。

ヨーロッパでは大麦を煮た粥状のものが食べられており、古代ローマでは主食として重要なものだったと聞いたことがあるが、日本でも主食の一つとして食べたところがあったのである。他の地域にもきっとあったのではなかろうか。

できたら私もこの「麦雑炊」を食べてみたい。何とか復活できないだろうか。そしてそれをB級グルメコンテストに出し、北上山地の名物料理として全国に売り込んでもらいたいのだが、どうだろうか。

それはそれとして、麦ご飯等の需要がなくなったからといって大麦の需要がまったくなくなったわけではない、たとえば家畜の飼料としてきわめて重要である。そしたら栽培すればいい。しかしこれも小麦と同じく外国からの輸入にほとんど置き換えられてしまった。

(注)本稿に前に何度か登場してもらったことのある私の教え子の研究者・中村勝則君(秋田県立大准教授)はこの葛巻町出身、そこで彼に一度食べてみたいと言ったら、自分も食べたことがある、とっても美味しかった、つくれると思うので、ぜひつくってご馳走したいとのことだった。楽しみにして待っているところである。

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