【鈴木宣弘:食料・農業問題 本質と裏側】前回のトランプ政権との日米貿易交渉の失敗に学べるか(2)2025年5月15日
第一次トランプ政権下での日米貿易交渉の失敗を繰り返してはならない。第二次トランプ政権との貿易交渉が「盗人に追い銭」「鴨葱」外交にならないよう、2019年11月28日の参議院外交防衛委員会での前回の日米貿易協定に対する筆者の参考人意見陳述の資料を再掲し、前回、何があったのかを確認しておきたい。
数字が語る「完敗」の現実
試算例でも明白だ。政府が使用したのと同じモデル(GTAPと呼ばれる)で、自動車関税の撤廃の有無をわけて、日米協定の影響の直接効果を改めて試算し直した。「直接効果」とは、政府が用いた「生産性向上効果」(価格下落と同率以上に生産性が向上)、「資本蓄積効果」(GDP増加と同率で貯蓄・投資が増加)などの、いわゆる「ドーピング剤」(解説1)を注入する前の効果のことである。
表が示すとおり、自動車と部品の関税撤廃は日本の生産額を3,400億円程度増加させる可能性があるが、関税撤廃が実現しないと、800億円程度の生産減少に陥る可能性がある。一方、農産物(乳製品・食肉の生産額を含む)は9,500億円程度の生産減少(政府試算の約10倍) (解説2)が生じる可能性も示唆される。
全体のGDP(総生産額)で見ても、自動車を含めても0.07%(政府試算の1/10程度)、自動車が除外された現状では、ほぼゼロという状況である。GTAPモデルにおける「労働者は完全流動的に瞬時に職業を変えられる」といった非現実的な仮定を修正すれば、日本のGDPはマイナスになる。
日本にとっては、農産物も自動車も「負け」、トランプ氏は、農産物も自動車も「勝ち」という、日本の完敗の実態が数字からも読み取れる。国際法違反を犯してまで完敗の協定を批准する事態の深刻さを再認識したい。誰のために、何のために、ここまでしなくてはならないかが問われている。
しかし、過去に日本が「勝ち取った」ものがある日米交渉が存在したかというと、そもそも、戦後ずっと、米国の要求に順次応えて差し出していく「失うだけ」の交渉が延々と続いてきた。ずるずると米国の要求に応え続ける対米従属的な政治・外交姿勢から脱却できない限り問題は永続することを改めて深刻に認識しないといけない。
振り返れば、戦後の米国の占領政策は、まさに、日本を、小麦、大豆、トウモロコシなどの米国の余剰穀物の最終処分場とすることだった。戦後、その方針が貫徹され、小麦、大豆、トウモロコシの自給率は急速に下落し、今や、小麦が10%程度、大豆が7%程度、飼料用トウモロコシはほぼ0%と、もう「満杯」状態まで輸入している。「もうこれ以上、人も牛も食べられない」と言っているのに、そこに無理やり「まだ買え」というのが今回のトウモロコシの追加輸入だ。まさに、最終廃棄場だ。その点では、占領政策の総仕上げ段階と言えるかもしれない。
農業が盛んな米国ウィスコンシン大学の教授は、農家の子弟が多い講義で「食料は武器であって、日本が標的だ。直接食べる食料だけじゃなくて、日本の畜産のエサ穀物を米国が全部供給すれば日本を完全にコントロールできる。これがうまくいけば、これを世界に広げていくのが米国の食料戦略なのだから、みなさんはそのために頑張るのですよ」という趣旨の発言をしていたという。故宇沢弘文教授は、友人から聞いた話として、米国の日本占領政策の2本柱は、①米国車を買わせる、②日本農業を米国農業と競争不能にして余剰農産物を買わせる、ことだったと述懐している。今も同じではないか。
しかも、米国産大豆、トウモロコシはほとんどが遺伝子組み換え、米国産小麦、大豆、トウモロコシには発がん性が認められた除草剤が直接散布され、残留している。それらの健康リスクに世界で最もさらされているのが日本人である。「国産小麦使用」のごく少数のブランドを除く全ての食パンから当該除草剤成分が検出された(農民連分析センター)。日本人30人の髪の毛をフランスに送って調べてもらうと、約7割からその除草剤成分が検出された。
世界的に規制が強まる中、日本だけが逆行して、米国での耐性雑草に対応した散布率の高まりに対応して、米国からの要請のまま、2017年12月25日、クリスマス・プレゼントと称して、その除草剤成分の輸入穀物における残留基準値を多いものでは100倍以上(小麦6倍、トウモロコシ5倍、そば150倍など)に緩和した。「日本人の安全基準値は、日本人の健康被害のリスクでなく米国の生産に必要な散布量から見込まれる残留量から決まる」という信じられない事態である。しかし、これは我々の置かれている立場を象徴している。
脆弱化した農業構造に一層の自由化がのしかかる複合的影響の深刻さ
国内農業生産への影響で深刻なのは複合的影響である。国内政策や過去の貿易自由化の影響で、すでに農業生産構造の脆弱化が趨勢的に進んでいる。そこに一層の自由化が上乗せされる全体の影響の大きさを見なくてはいけない。
コメでみると、2015年の需要量を100としたとき国内供給は98なので、自給率は98%と読む。これをベースラインとして、5年後を順次推定した。コメの総生産は15年後の2030年には670万トン程度になり、稲作付農家数も5万戸を切り、地域コミュニティが存続できなくなる地域が続出する可能性がある。一方、コメの消費量は一人当たり消費の減少と人口減で、2030年には600万トン程度になる。なんと、生産減少で地域社会の維持が心配されるにもかかわらず、それでもコメは70万トンも「余る」。コメ過剰対策として飼料米の増産を行っても畜産の生産が大きく減少するため、飼料米需要が減り、政策が機能しなくなってくる可能性がある。2030年の生乳生産量は400万トン弱で、「総飲用化」になる。牛肉、豚肉の自給率は10%台に突入する危険がある。
自由化は農家の問題でなく国民の命と健康の問題
農産物貿易自由化は農家が困るだけで、消費者にはメリットだ、というのは大間違いである。いつでも安全・安心な国産の食料が手に入らなくなることの危険を考えたら、自由化は、農家の問題ではなく、国民の命と健康の問題なのである。つまり、輸入農水産物が安い、安いと言っているうちに、エストロゲンなどの成長ホルモン、成長促進剤のラクトパミン、BSE(狂牛病、5月17日に米国牛全面解禁=日米協定の最初の成果)、遺伝子組み換え(non-GM表示の2023年実質禁止が決定)、ゲノム編集(10月1日から完全野放し)、除草剤の残留(日本人の摂取限界が米国の使用量に応じて引上げられている)、イマザリルなどの防カビ剤(表示撤廃が議論中)と、これだけでもリスク満載。これを食べ続けると病気の確率が上昇するなら、これは安いのではなく、こんな高いものはない。
日本で、十分とは言えない所得でも奮闘して、安心・安全な農水産物を供給してくれている生産者をみんなで支えていくことこそが、実は、長期的には最も安いのだということ、食に目先の安さを追求することは命を削ること、子や孫の世代に責任を持てるのかということだ。牛丼、豚丼、チーズが安くなって良かったと言っているうちに、気がついたら乳がん、前立腺がんが何倍にも増えて、国産の安全・安心な食料を食べたいと気づいたときに自給率が1割になっていたら、もう選ぶことさえできない。今はもう、その瀬戸際まで来ていることを認識しなければいけない。
国民の命を守り、国土を守るには、どんなときにも安全・安心な食料を安定的に国民に供給できること、それを支える自国の農林水産業が持続できることが不可欠であり、まさに、「農は国の本なり」、国家安全保障の要(かなめ)である。そのために、国民全体で農林水産業を支え、食料自給率を高く維持するのは、世界の常識である。食料自給は独立国家の最低条件である。
米国から次々と何兆円もの武器を買い増すだけが安全保障ではない。武器による安全保障ばかり言って、食料の安全保障の視点が抜けているのは、安全保障の本質を理解していない。食料・農林水産業政策は、国民の命、環境・資源、地域、国土・国境を守る最大の安全保障政策だ。高村光太郎は「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」と言ったが、「食を握られることは国民の命を握られ、国の独立を失うこと」だと肝に銘じて、国家安全保障確立戦略の中心を担う農林水産業政策を再構築すべきである。食料がなくなって、代わりにオスプレイをかじることはできない。
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