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焼酎とイモ【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第344回2025年6月12日

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  「民衆の酒 焼酎は 安くて 回りが早い
   焼き鳥固く 冷えぬ間に 血潮は 顔を染めん
   高くたて 杯を その影に 涙あり
   一級酒 去らば去れ われらは 焼酎まもる」
戦後すぐの頃よく歌われた労働歌『赤旗』の歌(注)のこんな替え歌が流行した。日本酒、ビールなどは高価で飲めず、貧乏人は焼酎しか飲めなかった時代だった。
 戦後10年も過ぎた頃(私が大学に入学した頃)も同様だった。日本酒は一合(=180ml)50円(それも合成酒)などめったに飲めず(何しろ学生のバイト賃一日200円なのだ)、屋台でコップ一杯20円の焼酎を飲むのが精いっぱいだった。

 それにしても焼酎はまずかった。何か生臭く(薬臭いという人もいた)、むりやりのどに流し込むという感じだった。
 そこで飲み屋で頼むのが「割りチュー」だった。すると焼酎の入ったコップにピンク色の梅シロップをちょっぴり垂らしてくれる。無色透明の焼酎は薄いピンク色に染まり、とってもきれいである。口に入れるとあの臭みはなく、飲み口は非常にいい。一杯30円となるのが痛いが、せっかく飲むのだ、やはりうまいのがいい。ただし飲み口がいいから飲み過ぎてしまい、3杯も飲むと腰が立たなくなってしまうのが難点だった。

1960年代に入ると、日本酒は安くなり、ビールも庶民が飲めるようになった。「トリスを飲んでハワイに行こう」などという宣伝文句がテレビ(ようやく庶民の家でも買えるようになっていた)で流され、ウイスキーも庶民が飲めるようになり、スタンドバーに行けばハイボールを頼むという時代になった。当然私も焼酎は飲まなくなった。
こうなれば、焼酎などはなくなるだろう、私はそう考えていた。
 そもそも焼酎はイメージが悪かった。貧乏人のまずい酒ということからばかりではない、戦後の一時期、「カストリ焼酎」というのが出回ったからである。これは日本酒の酒粕を蒸留して造った本来の「粕取り焼酎」とはまったく別な、密造の粗悪焼酎に対する俗称であり、ひどいものになるとメチルアルコールを水で薄め、それを飲んだ人が失明したりするなど、子どもだった私たちでさえ知っているほど大きな社会問題となっていたのである。さすがに50年代後半にはこんな問題はなくなっていた。それにしてもエタノールに水を加えただけのおいしくない、しかもイメージの悪い焼酎、豊かな社会になれば消え去るだろうと思っていたのである。
ところが、1970年代に入ったころではなかろうか、こんなことを言う人がいた。今の若い人たちはわれわれ世代のような悪いイメージを焼酎に対してもっていない、だからこれから焼酎ブームになると。こう言う人は鹿児島出身か鹿児島大学に関係をもっている研究者だった。私はまさかと笑うだけだった。

70年代半ば(昭40年ころ)、鹿児島に調査に行ったときである。鹿児島大学の先生がいも焼酎の工場に連れて行ってくれた。うまく表現できないが、すさまじい臭いがしていた(今の工場はそんなことはないだろうが)。こんなものは飲みたくない、いや飲めないだろうと思った。夜、懇親会でいも焼酎が出された。匂いはするが、工場で嗅いだのとはまるっきり違う。しかもそれをお湯割りにする。何と飲めるではないか。独特の味だが、それなりにうまい。私が昔飲んでいた焼酎とはまるっきり違う。キビナゴの刺身をつまみにすると最高である。
驚いて、お土産にいも焼酎を買い、仙台で研究室のメンバーと飲んだ。教わった通りにお湯割りにしたのだが、前のようにはおいしくない。やはり鹿児島の酒は鹿児島の風土で飲むからいいのであって、気候風土の違う仙台で飲んでもそれほどおいしくないのだろう、そのときはそんな結論になった。

それはそれとして、ともかくいも焼酎は私の思っていた焼酎のイメージを完全に変えた。そしてそれ以外にも球磨焼酎、泡盛等々、私たちのかつて飲んでいた焼酎とは違った種類のものが多々あることに改めて気が付いた。南九州に調査に行って、宿で酒を頼むと焼酎をもってくる、日本酒を頼むときにはどういえばいいのかと地元の大学の先生に聞いたら「清酒」と言えという、なるほどと思ったものだったが、それくらい焼酎が飲まれているということを初めて知った。
 そしてそういう焼酎つまり原料の風味が残る程度までしか蒸留しないのは乙類、私たちが昔飲んでいた焼酎つまり高いアルコール純度まで蒸留したものを甲類として分類されているということもわかった。
やがて乙類焼酎は日本酒と並んで酒屋や飲み屋に並ぶようになり、かつての焼酎のイメージはなくなった。そしていも焼酎、米を原料とした球磨焼酎・泡盛等が全国各地で販売されるようになった。それは焼酎アレルギーのない若い人たちに受けた。そして焼酎ブームさえ起きた。
私の焼酎に対する先入観は誤りだった。

ところで、澱粉といえばジャガイモ澱粉がある。澱粉原料としてのサツマイモ生産は壊滅させられたが、澱粉原料ジャガイモはいまも北海道で大面積栽培されている。網走などはその大産地だ。そしてそれは先日の本稿で述べたように片栗粉に精製されて全国に出荷されている。
酒はそもそも澱粉を糖化させてアルコール発酵させるのだから、サツマイモと同じようにジャガイモの澱粉も酒の原料となっていいはずである。
 ところが、ジャガイモを原料にした「いも焼酎」がない。なぜなのかきちんと聞いたことはないのだが、サツマイモよりも糖化しにくいこと、ジャガイモ独特の臭みがあることからのようである。
ところが、網走と知床半島のちょうど中間にある清里町が日本で最初のジャガイモ焼酎を開発した。ジャガイモと北海道産の大麦とで、ジャガイモの臭みをとり、旨みのみを抽出した焼酎を完成させたのである。1979年のことだという。
 このことを私はまったく知らなかったが、網走に住むようになって初めて知った。清里町焼酎醸造事業所を案内され、説明を聞いた後、試飲させてもらった。
 サツマイモのいも焼酎のような独特の匂い、風味はない、しかし、癖が少なく、きりっとしている(表現能力がないためにうまく説明できないが)。私は日本酒ファンなので焼酎はあまり詳しくないのだが、それでも宣伝させていただきたい。とりわけ「オホーツクの地酒・北緯44度」、一度試飲していただき、もしもお口に合ったらぜひ愛飲していただきたい(と思ったのは私の網走勤務中、申し訳ないが、実はその後飲んでいない)。

これで北と南の二種類のイモの焼酎ができたことになるが、まだまだジャガイモの方の売れ行きは少ない。これも伝統の差、やむを得ない。それでも清里以外でも北海道の各地でジャガイモ焼酎が製造されるようになっているようである(最近はどうかわからないが)。
 また、麦焼酎、そば焼酎、後に述べるナガイモ焼酎等々、各地で地域の特産物をベースにした焼酎がつくられ、若者にそれなりに愛飲されているようだが、日本酒の消費量がそれで減退することのないように願いたいものだ。

 さて、話をもう一度イモに戻そう。
 ご存知のように、ジャガイモはナス科の植物である。だから、ジャガイモと同じナス科のトマトと接ぎ木ができ、つまりポマトにすることができ、地下にジャガイモ、地上にトマトができるという話をお聞きになったことがあると思う。
 一方サツマイモはヒルガオ科とのことである。そういわれてみればサツマイモの葉っぱはヒルガオのそれに似ている。ただし花が似ているのかどうかわからない。なぜかわからないが、サツマイモの花を見たことがないからだ。いずれにせよ、同じイモでもとんでもなく違うものだ。
 それ以外にもマメ科のイモがある。このイモ、ホドイモについて次にちょっと触れてみたい。

(注)
 『赤旗』(曲:ドイツ民謡 作詞:J・コンネル 訳詞:赤松克麿)。本当の歌詞は次のようなものだった。
  「民衆の旗 赤旗は 戦士の 屍を包む 
   しかばね固く 冷えぬ間に 血潮は旗を 染めぬ 
   高く立て 赤旗を その陰に 死を誓う 
   卑怯者 去らば去れ 我らは 赤旗守る」

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