農政:ウクライナ危機 食料安全保障とこの国のかたち
「目指すべきは万国による万人のための食料安全保障」 同志社大学大学院教授・浜矩子【ウクライナ危機】2022年4月25日
ロシアのウクライナへの侵攻から2か月。無差別攻撃による甚大な被害が広がり、ウクライナから国外への避難民は500万人を超えた。ロシアへの制裁の動きが強まる中、小麦などの穀物をはじめ生産資材や食料品など様々な物価が上昇し、生活に重苦しくのしかかってきた。こうした状況で日本は食料安全保障にどう向き合い、どう進むべきか。同志社大学大学院の浜矩子教授に寄稿してもらった。
浜矩子 同志社大学大学院教授
本稿が皆さんのお目に止まる段階で、ウクライナ情勢はどうなっているだろう。ウクライナの人々は、どのような状況に当面しているだろう。ロシアが目下の蛮行を止めているといい。その侵略行為で離散を余儀なくされた家族たちが再会出来ているといい。神よ、ウクライナを憐みたまえ。ウラジーミル・プーチンの魂から悪魔を追い出したまえ。こう祈りつつ、今回頂戴したテーマに向き合う。
今回求められたのは、「専門の見地から食料安全保障を中心に日本の対応すべき課題、進むべき道について提言」することだ。大穀倉地帯を擁するロシアとウクライナの対立がもたらす食料供給の変調。資源エネルギー価格の高騰がもたらす食料生産へのコスト圧力。これらのことを踏まえて、今、日本がとるべき構えを考えよということだ。いつも難しい課題を投げかけられる。今回も難題だ。筆者の専門分野は経済分析だ。筆者はエコノミストである。エコノミストの現地から考えた場合、「食料安全保障を中心に日本の対応すべき課題」は何か。日本が「進むべき道」はどこに通じる道なのか。
手始めに、「安全保障」を辞書で引いてみると、次のようになっている。「外部からの侵略に対して国家の安全を保障すること」なるほど。今まさに、ウクライナが必死でこれをやっている。このような安全保障をする必要がなくなる日が来て欲しい。安全保障という言葉が全ての辞書から消える日が来るといい。このような安全保障概念を食料に適用するとどうなるか。「外部からの侵略に対して食糧の安全を保障すること」となるのか。これはなかなか物騒だ。食料争奪世界戦争のイメージが浮かんで来る。こんなことが起こるような時代が来てしまわないといい。だが、目下、人類が地球に掛けている負荷を考えれば、予断は許されない。
この物騒な大問題はさておくとして、本稿をお読み下さる皆さんは先刻ご承知の通り、「食料安全保障」という言葉には、それ自体としての定義がある。辞書で引けば、「国民に必要な食料の安定供給を確保し、その生命と健康を守ること」だ。これなら、物騒感はそれなりに和らぐ。もっとも、食料の安定供給が外部からの侵略によって脅かされるとなれば、やっぱり、物騒な世界に引き込まれて行ってしまう。そのような事態の発生を回避するには、どうすればいいのか。経済の視点から何がいえるか。これを一つの切り口として設定してみよう。
その上で、「食料安全保障」に関するもう一つの定義も把握しておきたい。国連食糧農業機関(Food and Agriculture Organization: FAO)が提示しているものだ。次の通りである。「全ての人が、いかなる時にも、活動的で健康的な生活に必要な食生活上のニーズと嗜好を満たすために、十分で安全かつ栄養ある食料を、物理的、社会的及び経済的にも入手可能であるときに達成される状況」注目されるのが、この定義によれば「食料安全保障」は「状態」だという点である。上記の辞書的定義では、「食料安全保障」は「行為」になっている。「食料の安定供給を確保して、国民の健康と生命を守る」という行為を指している。その行為の主体は、国々であることが暗黙の前提となっていると考えていいだろう。
ここで注意を要するのが、FAOが言う「食料安全保障」は英語ではFood securityとなっていることだ。「食料安全保障」がすっかり定訳化しているが、厳密に言えばニュアンスが違う。Food securityを素直に訳せば、「食料の安全」あるいは「食料的安全」という感じになる。食料的安全が万人のために確保されている状態。それがFAOの言うfood securityだ。これを誰がどのような行為を通じて保障するのか、ということには触れていない。
思えば、これはなかなか賢いやり方だ。「食料的安全」を個別各国がその国民のために保障するという行為型の議論を持ち出すと、そこに物騒感が入り込む余地が生じる。そうではなくて、「食料的安全」を万民が享受している地球的な姿について、万国が認識を共有するという状態型の議論であれば、そこに食料を巡る分捕り合戦が発生する余地は生じない。そして、「食料的安全」状態に関する認識が共有されれば、この状態を保つための行動原理についても、共通認識が形成されるはずだ。それは「食料的安全」は皆が皆で皆のために守るものだという認識であるはずだ。これなら、「食料安全保障」を巡って国々の間に対立は生じない。
こうしてみると、そもそも、日本は「食料安全保障」という言葉を使うことを止めた方がいいかもしれないと思えて来る。「食料的安全」は個別国家的概念ではない。地球的概念だ。日本はこの考え方に徹する。そう宣言してはどうだろう。
ここで頭に浮かぶのが、日本国憲法の前文だ。その中に次のくだりがある。「日本国民は、(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」この決意と考え方は、「食料的安全」にも、そのまま、当てはまると思う。全ての国々が平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、食料的安全を保持しようと決意する。これが至高の「食料安全保障」が実現している地球的姿ではないのか。日本の進むべき道は、この地球的姿の実現に徹底注力することにある。そうではないかと思う。
以上のどこに、エコノミストとしての視点があるのか。そう言われてしまうかもしれない。だが、この指摘は当たらない。なぜなら、国々がそれぞれ個別的に自己完結的な「食料安全保障」を確保しようとすることには、経済合理性がない。経済合理性が確保されるということの本質は、経済活動が基本的人権の礎たりうるということだ。なぜならば、経済活動は人間の営みであり、したがって人間を幸せに出来なければならないからだ。人間にとって、最大の不幸はその人権を侵害されることである。究極の人権侵害が命の危険にさらされること、すなわち、生存権を脅かされることだ。飢餓は間違いなく人々の生存権を脅かす。そして、国々が個別自己完結的に「食料安全保障」を追求すれば、そこに人々が相互いに生存権を脅かす危険が発生する。それは経済合理性に叶わない。
貿易理論の大家、ジャグディシュ・バグワティが言った。「貿易は戦火に対する至高の経済的防波堤だ」。同様に、万国が万人のために守る食料的安全もまた、戦火に対する至高の防波堤だ。人間は誰も一人では生きて行けない。だから、人間は誰もが誰かのために生きて行かなければならない。全ての誰もが、全ての誰かのために。あの素晴らしい憲法前文を持つ日本が、ウクライナ情勢が凄惨の極みを呈する今こそ、万国による万人のための「食料的安全」を声を大にして世界に向かって叫ぶべきだ。それが今、日本が進むべき道だと思う。
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