三代仕える身の処し方 土井利勝【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】2021年6月19日
三代目の就任あいさつは
徳川三代将軍家光は父秀忠から将軍職を譲られる時に「天下と共に土井利勝も譲る」といわれた。利勝は家康以来の忠臣で、家康も秀忠もその意見を尊重してきた人物だった。秀忠の言葉は、
「何事も利勝の意見を大切にせよ」という意味だ。家光はさっそく利勝を呼んでいった。
「父からいわれた。これからの指導をよろしくたのむ。まず大名たちにあいさつしたい。どんなことを告げればよい?」。将軍職を譲られてからずっと家光が頭を悩ませている問題だ。利勝は訊いた。
「上様(家光)が大名から受けた印象は?」
「若僧めと馬鹿にしている」
「ハハハ、正直でよろしうございますな。では一発噛ませましょう」
「どうするのだ」
「自分は祖父や父と違い、生まれながらの将軍だ、とおっしゃって下さい」
え、と家光は驚いた。
「そんなハッタリをいって大丈夫か?」
「ハッタリではございません。上様に自信を持っておっしゃれるか、おっしゃれないか、即ち勇気があるかないかの試練でございます」
家光は感覚の鋭い青年だ。今まで利勝についてはいい印象を持ってこなかった。(いつまで祖父や父の背光を利用しているのだ?)
と斜めにみてきた。しかしこの応じ方にはビックリした(爺い、やるな)と目からウロコが落ちた。
「その先は何といえばよいのだ」
「祖父や父はあなた方の支持や協力で将軍になれた。しかし私は何の世話にもなっておらぬ。祖父や父は感謝の気持があるので、あなた方が江戸城にこられた時は、品川や板橋まで迎えに出た。しかし私はそんなことはしない。江戸城でお待ちする」
「そんなことをいうのか?」
「そうです。いえますか?」
「いえる、いえる。胸がスッとする。大名たちはどうするかな」「それが楽しみでございますな」。利勝もすでに(この若僧なら大丈夫だ)と自信を持った。二百数十人の大名を前にしてもビビるようなタマではない。堂々とやり抜くだろう。「利勝」「はい」「祖父や父がお前をすすめる理由がよくわかった。気に入ったぞ」「私も同じです」。初会の話し合いで二人の意気は投合し、呼吸はピタリと″あ・うん(あは吸う息、うんは吐く息)"の呼吸になった。
大名たちの反応
家光の新任あいさつのセレモニーは大成功だった。利勝にいわれたとおりのあいさつに家光は自分の考えをつけ加えた。
「私の今の言葉に不満を持つ者は、即刻領地に戻って合戦の準備をなされよ。家光、未経験なれど、ただちに討伐に向うであろう!」
(調子に乗り過ぎてそれはやりすぎだよ)
脇にいた利勝はそう思ったが、三代目はこのくらい勇ましい方がいいか、と黙っていた。
大名の間に驚いた反応が起った。まず伊達政宗が立ち上った。持っていた日の丸の軍扇をパッと拡げ、パタパタと宙を煽いでいった。
「いやアおみごと、あっぱれでござる。実に頼もしい三代目、感に入り申した。お言葉に何の不満がござろうか。もしある者がおるなら、上様ご出陣の前にこの伊達政宗がそいつの首を引っこ抜いてお見せ申す!」
千軍万馬の老将で大先輩の言葉だ。拍手が起った。藤堂高虎がこれに続き同じことをいった。誰一人文句をいわなかった。しかし利勝は感じていた。(こんな情一辺倒の古い芝居はそろそろ終る。終わらさなければならぬ)
家光には幼い時から旗本の学友がいる。松平信綱・阿部忠秋・堀田政盛・稲葉正勝などだ。(あの連中を早く年寄〈老中職〉にして、われわれと交代させるべきだ)利勝はそう考えていた。それは家光の資質が、まさに「生まれながらの将軍」であったからだ。
植えるのは苗木ではない
中風を理由に利勝は辞任を申し出た。その日家光は庭に出て植木職人にしきりに指示をしていた。
「何をしておいでですか」
訊くと家光は植木職人に、
「おい、さっき話した指南役様のお出ましだ。少し休もう」と告げた。そして利勝に何をしているかを話した。
「大名たちから祝いの苗木だ。全部松の木だ」
「それをなぜ仕訳をなさっておられるのですか」
「庭が狭いのですべて植えられぬ」
「植える苗と捨てる苗の区分は?」
利勝の口調はきびしくなった。家光は眉を寄せた。
「植えるのはわしの好きな大名、捨てるのは嫌いな大名の苗木だ」
「いけません」
「何が?」
「その分け方です」
「どこが悪い? 全部植えられぬぞ」
「いやお植え下さい。たとえ狭くても。なぜなら、これは只の苗木ではありません」
「では何だ?」
「大名の忠誠心です。植えるのは松の苗木ではありません」「...」家光はしばらく黙った。やがて笑って大きく肯いた。
「わかった。植木屋、庭を拡げる。一本残さず植えろ」。
利勝もさわやかな気持で辞任した。
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