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JAの活動:米価高騰 今こそ果たす農協の役割を考える

なぜ米がないのか? なぜ誰も怒らないのか? 令和の米騒動を考える2025年7月8日

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特別な気象変動があったわけでもないのに、国民の主食である米の価格が1年で2倍にもなるという、これまでの常識では考えられない事態。マスコミはこれを「令和の米騒動」と名づけ、テレビはずっと米の話題のオンパレードだ。
「米騒動」と言うから、どこかで騒動、暴動が起きるかと思っていたが、その気配はなく、5kg2000円と安くなった備蓄米を朝早くから行列して買い求め、運よく買えた人は喜び、買えなかった人は落胆している。喜び、落胆するのではなく、こういう事態にした無為無策の政治、政府に怒りをぶつけることを何故しないのか、不思議なことだ。労働組合にも生協にも表立った動きは見られない。流通を担う農協に対しては悪口や不要論でいっぱいだが、農協陣営はきちんとした反論をしていないように思える。
私は端くれながら百姓の一員。大規模農家ではないけれど、谷津田で田植えをし、田の草を取り、畔や農道などの草刈りに追われている。3月の百姓一揆にも参加し、本紙の取材で米農家や農協組合長の本音を聞いて歩いた。今回はそれらを整理し、何が問題なのか、どうすればいいのかをお伝えする。(客員編集委員・先﨑千尋)

〇水田

米とクルマとどっちが大事

まず、茨城と岩手の生産農家、百姓一揆緊急集会で聞いた声などを整理しておこう。

「令和の米騒動」をどう見るか。我が家に近い茨城県の和田勝一さんは「消費者はこれまで、米は空気や水と同じようにいつでもあると考えてきて、米を作る農家のことは考えてこなかった。車はなくとも生活できるが、米がなければ生きていけない。どっちが大事なのか」と消費者に怒りをぶつける。

新潟県の石津美津夫さんは集会で「米価は50年前の農協の初任給の3分の1だった。今だったら60kgで6万~7万円。米は安過ぎる。価格競争になると必ず中間業者がもうける。毎日汗を流す農民以上に、汗もかかない流通業者が儲けるのはおかしい。生産者、消費者全体の問題」と訴えていた。

今どこでも問題になっているのは、「令和の百姓一揆実行委員会」代表の菅野芳秀さんの「農じまい」。

「全国の農村で農民が姿を消し、作物が消え、村そのものが消えようとしている。このことを多くの人は知らない。農民は田畑をつぶして別な職業につけばいい。それで困るのは農民ではなく、消費者だ」(菅野さん)。

「大規模農家が倒産、廃業に追い込まれれば、耕作していた莫大な面積の農地が荒廃していく。水路の維持、あぜの草取りは、小規模農家、兼業農家も含め地域一帯で一緒に行ってきた」(静岡県・藤松泰道さん)。

私の集落でも、非農家も含めて、農繁期前の春と秋には農道の整備や木障(こさ)払い、野焼きなどを行ってきたが、農じまいの家が増え、遠い昔の話になってしまった。作らなくなった田んぼには3年も経てば木が生えてくる。イノシシのすみかにもなっている。

岩手県の土井富夫さんは、周りの農家が次々に米作りをやめたので、それらの水田を「景観を荒らしたくない」という気持ちで引き受けている。自分のためにではなく、ムラのために田んぼを作っている。土井さんの住む沢内村(現西和賀町)は、日本有数の豪雪地帯。熊だけでなく、鹿やイノシシも出没する限界集落だ。

5kg3500円が適正価格

5kg2000円という備蓄米については「やり過ぎ、安過ぎる。そういう米が市場に出回ると消費者はそれが当たり前だと思う。それが怖い」(和田さん)。

「備蓄米が2000円台で売られると持続可能な農業ができなくなる」(八木岡努茨城県農協中央会長)。

福井県農協中央会の宮田幸一会長も、6月29日のテレビ朝日のニュースで「消費者が米は2000円台で買えるという雰囲気になると困る。農家は皆廃業、今の値段で行ったら」と小泉農相に苦言を呈していた。

小泉農相の備蓄米はコンビニやドラッグストアなどでも売られるようになった。逆に米専門店に米が入らず、倒産や一時休業に追い込まれているという報道もある。子ども食堂や学校給食、フードバンクなどが困っている。それなのに、どさくさに紛れて、この際、米でひともうけしようとする人たちと会社がいっぱいあるという事実を私たちは見せつけられている。

では、農家にとってどれくらいが適正なのか、再生産可能な価格はいくらくらいか。

生産者、農協組合長ら、聞いた人すべてが、5kg4000円台は高過ぎる、農家として、ずるもうけしようとは考えていないと口にする。

生産者段階で玄米60kg2万6000円くらいだと、精米、流通、小売店マージンなどを加えて、5kgで3500円前後というところだろうか(川津修北つくば農協組合長)。

銘柄米の店頭価格が4500円などになっているが、その差額は中間で不当に儲けていることになる。

全農とっとりは今年産米の生産費払いの水準を玄米60kg2万2000円に決めたが、それだと農家の時給が1500円になると言う。

米が足りないのだから、米の生産調整(減反)を止めてどんどん作り、「市場でじゃぶじゃぶな状態」にすればいいという小泉農相の話を、現場ではどう受け止めているか。

「簡単にはやめた水田を元に戻して作れない。(岩手中央農協では)転作作物に合わせて農作業体系が確立している。水稲、小麦、大豆の植え付けや収穫がローテーションで回っている。それに担い手の問題もある」(佐々木雅博岩手中央農協組合長)。

和田勝一さんは現在40haの経営だが、作ってくれと頼まれても、労働力や機械設備でこれ以上は増やせないと言う。

北つくば農協や岩手中央農協でもこれまでに農地の集積が進み、大規模農家の出荷が6割とかなりの割合になっているが、私の住む地域のような条件の悪い中山間地域も、全国で耕地面積、農家数の4割あり、米作の規模拡大は国や一部の評論家の言うようには進まないと考えられる。

輸入は農の崩壊の引き金

「国内生産で足りないのなら、輸入すればいいではないか」という声も強い。それに対して和田さんは「百害あって一利なし」ときっぱり言う。静岡の藤松さんも「安い輸入米が大量に入れば、国内の稲作農家は壊滅する。主食である米を海外に依存すれば、有事の際や、異常気象で輸出国に不測の事態が起こった場合、日本人は何を食べればいいのか。ポストハーベストという、輸出用作物にかける防カビ剤の安全性の問題もある。農業は単に効率、金もうけだけでなく、国防そのものだ」と、様々な問題点を指摘している。

備蓄米の大半を放出した政府は、恐らくその穴埋めとして輸入に踏み切るだろうが、私はその危険性を、農民と農協は声を大にして訴えていかねばと考えている。

農協解体、不要論

SNSやXで「農協が米を買い占めている。買い占めた備蓄米を小出しに出してもうけている」と農協がやり玉に挙げられている。キャノングローバル戦略研究所の山下一仁氏は以前から、農協と農水省、自民党がグルになって利益共同体としての「農政トライアングル」を作り、減反政策を維持し、米価を高く維持し、構造改革を阻止してきたと言い続けてきた。

そして「なかなか減反は廃止できない。減反は農協発展の基礎だから。米価を高く支えたので、コストの高い零細農家が滞留した」と主張する。元テレビ朝日の社員でコメンテーターの玉川徹氏も番組で「集荷業者というのはイコール農協なんでしょ? そこをすっ飛ばせばいい」と驚きの発言をしている。

では本当に農水省と農協が減反を維持してきたから米価が高かったのか。誰もが分かるように、現実の動きはそれとは異なり、この30年で米価は半分になり、コロナ禍のときには玄米60kgで1万円を割り込み、40haを耕作する茨城の和田さんですら収入が3分の2になり、赤字続きだったと言う。農協のシェアはほぼ3割しかない。残念ながら農協に米価格を左右する力はないといっていい。

和田さんは「農協は、商人や商社と違い、我々が作った組織だ。消費者に米を直接届けるにはまず精米施設が必要になる。精米、袋詰め、発送などの細かい作業が必要になり、かえって割高になる。米を作るのは我々農家の仕事。それをまとめて売るのが農協の役割だ」と話す。

農協という組織は、小規模農家が協力し合い、経営を安定させるために作った組織だ。農協法という規制はあるものの、たとえ国といえどもつぶすことはできない。

農協は単に農産物の販売や資材を購入する役割だけではなく、金融機関や生活支援の活動を担っている。小規模農家は販路の確保が難しくなり、経営が悪化する。農協が担ってきた集荷・流通が崩れると農産物の安定供給が難しくなり、価格の急激な変動が起きる可能性がある。農協は良くも悪くも共助の組織だ。解体されれば、農家同士の連携や地域の連帯感は薄れ、ムラ社会は崩壊してしまう。

私自身も現在の農協に対してはいろいろ注文をつけてきた。組合員は自分の農協に問題があれば指摘し、どうすればいいのかを提案し、それで納得できなければ脱退すればいい。自主的な組織なのだから。

米は工業製品か

福岡県の百姓・宇根豊氏は「日本農業新聞」で「米は『工業製品』か」と問い、「米が高いか安いかという議論でいいのか。米の価値に赤トンボやカエルの価値は含まれていない。農が生み出す多くのめぐみ(環境)の価値は市場から見放されている。しかし食べものは生きものだから、人間が製造(生産)しているのではなく、天地自然から授かっている、いただいているもの。食べものはつくるのではなく、とれる、できるものだ。農は市場では評価できない価値をいっぱい供給している。農は産業ではない」と訴えている(6月16日付)。

一楽照雄氏らが始めた日本有機農業研究会も、生産者と消費者との関係を「ものの売り買いの関係ではない」と両者の提携を主導している。生産者から消費者に生産物が提供され、消費者はその代償、謝礼として金銭を支払う。両者は信頼を土台とした相互扶助、提携だと言うのだ。

宇根氏の問題提起や一楽らの考えを見つめ直すべきではないのかと考えている。

憲法第25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と国民の生存権を規定している。この文言を現在の米問題に当てはめるとどうなるか。

まず生産者。「時給10円」では誰も米作りができない。多くの生産者や農協関係者が言っているように、最低でも玄米60kg2万2000円から2万5000円程度を国が保証する。消費者には5kg3000円前半で買える水準にする。こども食堂やフードバンク、学校、病院給食などには別途手立てする。食糧管理法があったときのように二重価格にすることだ。財源は農水省の予算だけでなく、環境省、厚生労働省からも手当てする。環境保護は環境政策、消費者への援助は福祉政策として考えればいいことだ。

その上で、農業、農村をどうするのかを、政府や国会を含めて国民全体で一から出直して考えるべきだ。食料問題は最大の国防問題なのだ。農協陣営も、経営だけでなく、農家を守り、地域を維持していくために新たなプランを作り、組合員とともに実行に移していく。農業が発展し、組合員の暮らしが安定すれば、農協経営も健全になる。

「令和の米騒動」は、国民に対して、これまで空気のように存在していた米について考え直す機会を与えてくれた。すべての国民の暮らしと暮らし方の問題なのだ。

(文中、意見にわたる部分は筆者の個人的見解である)

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