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特集:緊急企画:許すな!日本農業を売り渡す屈辱交渉

2019.01.29 
【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか一覧へ

・柳 京熙(ゆう きょんひ)酪農学園大学教授 

◆米韓FTA改正の内容

表1 韓国の対米交易(サービス部門)の推移 資料:韓国銀行の資料より作成。 【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか【酪農学園大学教授 柳 京熙】

 思い出してほしいが、2012年に発効された米韓FTA(自由貿易協定)の交渉結果のうち、日本に大きなショックを与えたのは「毒素条約」(注1)であった。当時、さまざまな議論を呼んだが、結論を言えば、FTA協定書に書かれた内容はともかく、さまざまな含意を含んだ曖昧な中身を相手国に突きつけることで、長期的利益を得ることが可能となる事実上不平等条約であった。しかし、今のトランプ政権は目に見える短期的利益に拘っているように見受けられる。また、トランプ大統領の言動から見えるのは、米韓FTA破棄といった極めて予測不可能でかつ不確実性の高い政策の進め方である。敵に「こいつなら、どんなことでもやりかねない」と信じ込ませ、交渉のテーブルに引きずり出す戦略のことであるが、すでに米韓FTA破棄をたてに再交渉を取り付けたことから戦略的に成功している。
 これに対し、韓国はどのような戦略を持って闘ったのか。文在寅大統領は発足当時から高い支持によって支えられている。したがって、改正にはそれほど急ぐ理由はなかった。真意はわからないが、米韓FTA破棄を念頭において闘うことが、むしろ有利であるとの発言まで飛び出した。その背景には以下の事情が潜んでいる。米国は商品における貿易赤字を理由に改正を進めているが、サービス分野においては140億8000万ドルの黒字を出しているからである(表1)

表2 米韓相互の投資額の推移 資料:韓国産業通商資源部、輸出入銀行資料より作成。【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか【酪農学園大学教授 柳 京熙】

 さらに、2016年の韓国の対米国への直接投資額は180億ドルで、米国の対韓国投資額の4倍を超える規模である(表2)。とくに米韓FTA妥結以降、韓国の対米投資額は3倍近く増加している。米韓FTAによる経済的利益は、必ずしも韓国のみが占有しているとは言えない。むしろ米国がその恩恵を受けている側面が強いと言えよう。米韓FTAの破棄は米国に大きな損害を与えることになる。
 このような経済状況を勘案した韓国の戦略は、最悪のシナリオとして米韓FTAの破棄を一つの選択肢として残しつつ、毒素条約とくにISDS条項(Investor-State Dispute Settlement:投資家と国家間の紛争処理)の譲歩を引き出す方向に焦点を合わせた。結果、短期間の成果を上げたい米国は自動車部門に戦略の重点を置き、2021年撤廃予定であった貨物自動車の関税25%を2040年(20年追加延長)に先伸ばしすることに成功した。貨物自動車が韓国自動車の主要輸出品目でないことから、自動車産業に与える影響はそれほど大きくないと見込んでいる。さらに、米国の安全基準に合わせた対韓国輸出枠を既存の2万5000台から5万台に広げたが、米国車の販売は現時点で2万5000台を下回っているために大きな影響はない。その代わりに、韓国はISDSについて大きな成果をあげた。これまで曖昧に運用されていたISDSの適用範囲が、非常に厳格に変わった。例えば、米韓投資協定により起きたISDS案件については、米韓FTAから除外することで重複賠償の問題が生じないように改善した。さらに、これまでは投資せず計画のみでも損害の可否をめぐる提訴が認められていたが、これからは実質的投資がなければ認めないこととなった。

 

◆米韓FTAがもたらした韓国社会への影響

 以下では、米韓FTA妥結を起点として、韓国の社会経済がどのような変貌を遂げているのか、経済部門と農業部門にわけ詳しくみることにしたい。

▼経済部門

 韓国の統計庁によれば、2017年に集計された満15歳から29歳までの若年層人口は928万2000人である。このうち、経済活動人口は433万3000人で、さらに就業者数は390万7000人であった。失業者数を経済活動人口で割った若年失業率は9.8%であるが、若年層人口の中で就業者数の割合は42.1%に過ぎない結果となった。若年層10人の中で4人だけが仕事に就くという結果である。米韓FTAを急いだ背景には、FTAによって経済が活性化すれば雇用問題は解決できるという断言があったのにである。しかし、現実はどのような状況であるだろうか。

図1 韓国における労働分配率の推移 資料:韓国労働研究院「労働レビュー8月」2018年、より引用。【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか【酪農学園大学教授 柳 京熙】

 まず労働分配率という指標を用いて、国民所得の中で労働による所得の比率を見ることにしたい(図1)。韓国の労働分配率は1970年代中盤から持続的に増加し、1995年63・5%を頂点とし、2010年には54%まで低下し、その後、少し回復しつつも、2016年に56・2%に止まっている。OECD平均の61・2%に比べても低い水準である。米韓FTA妥結後、急速に悪化している。所得の分配がうまく行なわれていない様子が伺える。

図2 韓国におけるジニ係数の推移 資料:韓国統計庁「所得分配指標(市場所得)」より作成。【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか【酪農学園大学教授 柳 京熙】

 また、賃金所得の不平等を表わすジニ係数(注2)を見ると、1997年の0・277から急速に悪化し、2013年の0・347をピークにして、2015年には0・341に落ち着いているが、依然としてよいとは言えない状況である(図2)。2015年時点でOECD35か国中、27位である。
 このように、米韓FTA妥結以降、国民経済は年々疲弊化している。一方、国民経済に対する財閥の支配が強くなりつつある。

表3 韓国における上位企業の売上高の推移 資料:金融監督院「資産規模5兆ウォン以上企業集団財務諸表分析」各年度より作成。【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか【酪農学園大学教授 柳 京熙】

 三星1社の売り上げがGDP(国内総生産)のおよそ15%に相当している。さらに上位10社の売り上げ総額の3割を占めるほどである。1つの企業が一国の経済を左右する構造となっている(表3)

 

▼農業部門

 まず食料自給率(韓国農林部発表)を見ると、1990年に70.3%だったのが2013年には47.5%まで大幅な減少をみせている。とくに飼料作物を含む穀物自給率は同時期に43.2%から21.4%まで落ち込んでおり、今後の行方が非常に憂慮されている。

図3 韓国における農家所得と都市勤労者との所得格差 資料:農林部「農林水産食品主要統計」より作成。【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか【酪農学園大学教授 柳 京熙】

 農家経済の疲弊化はさらに深刻な状況であり、2017年時点で農業所得は都市勤労者所得の63%に過ぎない(図3)
 次は、米韓FTAによって大きな被害が予想された畜産農家についてみることにしたい。

図4 韓国における乳製品輸入量と金額の推移 資料:酪農振興会の資料より作成。【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか【酪農学園大学教授 柳 京熙】

 まず酪農に関しては図4を参照されたい。図4は主要乳製品の輸入量と金額の推移を示しているが、米韓FTA発効を境に、大幅な増加が見られる。もちろん2010年に韓国内で発生した口蹄疫によって国内生産が打撃を受けたことにも影響があるとはいえ、輸入金額は2012年のおよそ5億ドル(約568億円)から、2014年には7億ドル(795億円)にまで膨らんでいる。

表4 韓国の乳製品輸入量に占める上位5か国の推移 資料:韓国統計庁資料より作成。【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか【酪農学園大学教授 柳 京熙】 さらに表4のとおり、乳製品輸入量に占める上位5か国の推移をみると、アメリカからの輸入が顕著になっている。米韓FTAが発効した2012年におよそ3割を占めていたが、2014年にはおよそ5割にまで伸ばしている。

図5 韓国における酪農生産頭数と農家戸数の推移 資料:酪農振興会の資料より作成。【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか【酪農学園大学教授 柳 京熙】 国内の酪農生産戸数は輸入増加に相まって、米韓FTA発効前の2011年の6141戸から2016年時点で5358戸に減少しており、飼養頭数は口蹄疫から立ち直って頭数を増やしてきたが、2016年に入り、大幅に減少している(図5)

図6 韓国における肉牛生産戸数の推移 資料:農林水産部「農林水産主要統計」より作成。【TAGの正体】米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか【酪農学園大学教授 柳 京熙】 また、韓牛(日本の和牛に該当)は米韓FTAにおいて最も大きな被害が予測されているが、すでに生産戸数は、2012年のおよそ15万戸から、2014年時点でおよそ10万戸にまで減少しており、飼養頭数もおよそ300万頭から270万頭台にまで減少している(図6)

 

◆FTAに国民の未来を託せるのか

 FTAによって描かれる素晴らしい将来、つまり農業を犠牲にしてまで貿易を増やし、それによって国民の生活が豊かになるという政府の主張は、果たして正しかっただろうか。韓国国民は、かつて政府の主張を信じ米韓FTAを結んだ。
 しかしその末路は、農業部門への被害はもちろんのこと、国民の暮らしまで巻き込んだ想像し難い問題を引き起こしている。米韓FTAによる貿易拡大がもたらす国益の増大という甘い夢は、一瞬にして悪夢に代わった。日本はこれをどのように評価するだろうか。日米で新たな交渉が始まると、TPPの交渉内容よりも一層厳しい結果となるだろう。一方、国内政策の自由度はますます奪われることになるだろう。今こそ農業者のみならず、国民一人ひとりがFTAの本質について真剣に考える時期であると考える。

 

(注1)毒素条約のうち、とくに問題になったのは「投資家対国家間の紛争解決条項」(Investor-State Dispute Settlement、略してISDS条項)であり、これは主に自由貿易協定(FTA)を結んだ国同士において、多国間における企業と政府との賠償を求める紛争の方法を定めた条項であるが、一国の政策決定権が著しく萎縮する恐れがあると指摘されている。

(注2)係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。

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