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【坂本進一郎・ムラの角から】第12回 生活の中心軸を失った日本2019年6月12日

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【坂本進一郎】

(1)机上プランの規模拡大

 今、日本の農業は、米作りまで企業に取り込められるところまで来た。その結果、登呂2000年の稲作文化も果てようとし、さらにその結果は「家族農業」が見捨てられ、農業の―そして我々生活の中心軸が失われつつある。―なぜそうなったのか。
 日本の農業は明治以来、工業の必要とする範囲内でしかその存在が許されなかったからだ、と思う。例えば、そのことは八郎潟干拓地の営農計画の変遷に端的に見られる。八郎潟を干拓して農地を作ろうとする事業は世紀の大事業と呼ばれ、完成まで多くの年数を要した。その結果営農設定は変遷している。最初、営農計画は1戸2.5ha配分でスタートした。その目的は食料増産と次,3男対策を目指すものであった。
 ところが高度経済成長(工業の発展)により2.5ha営農では生活が出来なくなり、しかも国内の食料生産は何とか足りるようになり、食料増産の必要はなくなった。そうなると八郎潟干拓の理由づけが必要になってきた。そして唱えられたのが「モデル農村建設」である(その実構造改善事業のモデル)。折角の新農村を作るのだから、「出稼ぎ」のない夢のある農村を作りたい。その結果、10ha配分に設計変更された。
 一見してこれは規模拡大に見えるが、机上プランだったので、農業予算を手当てせず面積だけで辻褄を合せようとしたのである。あるいは白紙に好きなような絵を描くように自由に営農設計が出来たため、変更が可能だったのである。10ha配分―それは「夢の到来」で、今にして思えば確かに気まぐれ農政の結果とも言える。我々農民は恵まれた環境により「潟ぼけ」を起すのでないかと自虐したほどである。ただ浮かれてはいけない。10ha配分の陰には、後述の構造改善(規模拡大)のモデルにしたいという政府の意図が隠されていたことを見逃してはならない。

(2)「田畑半々」の意味

 ここまでは机上プランの世界であった。次に現実が待ち構えていた。入植事業が干拓地面積の半分の4500haまで進んだところで、減反政策にぶつかり、残り4500haは遊休化する。紆余曲折の末、新規入植者120戸入植時入植者に1戸5ha追加配分により遊休農地は解決する。しかし、遊休農地4500haは米を作ってはならないので営農は「田畑半々」とされた。「田畑半々」とは気配分地相当面積の4500haには米を作ってもいいが、遊休化した4500haにはあくまで米を作ってはならない。
 そのことを大前提にして、これらの面積を個人に当てはめると「田畑半々」となる。実は「田畑半々」の中に、このように「猫の目農政」と「安上がり農政」が同居していたのである。そして以後この二つの農政によって、われわれ農民は苦しめられることになる。というのは、「猫の目農政」とは世間では、単に農政がくるくる変わることと受け止められているが、なぜ農政がくるくる変わるのかもっと深い意味を持っている。
 私が営農を始めた時減反(生産調整)が始まり、その後食管制度廃止、コメ自由化、米価暴落と続き、徐々に農業環境は劣悪になった。そして、TPP、生産調整廃止という掛け声に示されるように、不安の多い今日を迎えた。だから、「潟ボケ」もあっという間に通りすぎたかと思うと、次の一瞬まるで猛烈な北風が村の中を吹き抜けているようだ。今や、入植当初のぽかぽか暖かい太陽が照って、「潟ボケ」を起したのは遠い話で今はその時とは雲泥の差がある。
 
 (3)安上がり農政

 そして、今や離農者は一割を越したという。このように、入植当時と比べて農政的には大きな開きができてしまった今、大潟村はまだモデル農村と言えるのか。村を取り囲む雰囲気からは、まだそういうことを期待するものが感じられる。しかし、北風が吹くのは「安上がり農政」のせいなのだ。新たに入植事業を継続すれば、訓練費用の負担はあるし、その上入植用の施設も作らなければならない。それより現にあるもので賄った方がいい。予算を使いたくないのだ。ちなみに今軍事予算は5兆円を超すのに、農水予算は2兆円にすぎない。そして、農政がくるくる変わるのは誤魔化し方がくるくる変わるせいなのだ。こうして――大潟村の1割超離農者の姿は、農業の現実を語っているのである。憲法の三大骨格は「国民主権、基本的人権、平和主義」と言われている。その大事な「基本的人権」がはたして農民に保障されているのか、それがここでの問題である。ではどうすればいいのか。
 
 今農政は何もかも失ってマイナスゼロからの出発点になった。つまり農政は裸の王様になった。こうなれば真正面から農政建て直しを要求しなければならない。そこで生活軸中心の回復を憲法にもとめたい。この点三里塚の農民運動では「農業および職業として農業を営む行為(営農)」、つまり「営農権」を農業再生の軸に掲げている。闘いが新しい文化を生み出すきっかけになればと思う。

 

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坂本進一郎【ムラの角から】

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