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一銭店屋(=駄菓子屋)と子どもの遊び【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第257回2023年9月21日

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戦前昭和の幼児時代、仲間はたくさんいた、遊ぶ時間、空間もたくさんあった。ないのはお金だけだった。

それでもたまに小遣いをもらう。一銭コ(一銭銅貨をこう呼んだ)(注1)をもらって近くの「えっしぇんめしぇや」(「一銭店屋・いっせんみせや」=子ども向けの駄菓子や安いおもちゃを売っている小さな店、いわゆる「駄菓子屋」を私の故郷山形ではこう呼んでいた、なお仙台では「一銭コ屋」と呼んでいた)に駆け込む。

うれしくて勢い込んで走っていくと、一生懸命握っていたはずの一銭コが手からこぼれ落ちてしまうことがある。必死になって探す。しかし道路の土の色と一銭銅貨の赤茶色は似ているし、ましてや道ばたの草むらの中に入ってしまったとなると、なかなか探せない。見つからなくて泣きたくなってしまう。見付かった時には本当にホッとしたものだった。

一銭店屋に着くと飴やニッキ(肉桂)、金平糖、氷砂糖などの駄菓子を買う。海ホオズキを買い、口に入れて膨らましては音を出して楽しむ。なお、八百屋に行って紅生姜の塊(根茎)を買ってきてしゃぶることもある。辛さに顔をしかめながら何分も口に含み、味がなくなってくるとまた噛んで辛みを出す。こうして口の中を真っ赤にしながら、長い時間なめて噛んで舌と食欲を満足させることもあった。

一銭店屋ではパッタ(=メンコ)や玉コロ(=ビー玉)、コマ、竹とんぼ、凧、日光写真なども売っている。それを買って、庭や道路で友だちと、家の中では兄弟と、いろいろな遊び方で、さまざまルールを決めて、取ったり取られたりして遊んだものだった。

時代を反映した「行軍(軍隊だったかな)将棋」というのも売っていた。大将から騎兵、歩兵までの軍人、飛行機や地雷等の武器など役割の違うさまざまな駒を動かし、相手の陣地をとるというもので、駒と盤は紙でできていた(注2)。

なお、将棋駒の産地の山形県天童市(当時は「天童町」だったが)が近くにあるためだろうか、質の悪い木に字が印刷された安っぽい将棋駒も売られており(盤は紙)、それを買っても遊んだ。なお、天童の親戚の家の近くに駒をつくっている店があり、失敗作などの駒が外に捨てられているので、それを拾ってきて遊んだりもしたものだった。

「日光写真」を買うのも楽しみだった。この遊びはまだ雪の残っている早春に流行るのだが、柔らかい春の日光に当てると、真っ白なすべすべした印画紙がその上にのせた日光写真(白黒の絵が書かれている薄いセロファン紙)の絵の白の部分だけ紫色に変わっていく。濃くなり過ぎないように、薄過ぎないようにやるのが難しいが、この紫の色が何ともいえず好きだった。

凧の原材料も一銭店屋から買う。山形では雪がなくなって関東や仙台の空っ風のような風が吹く3月から4月にかけて凧あげをするのだが、竹がないので竹ひごを買って自分で骨組みをつくる。それにやはり店から買った絵の描かれている紙を貼り付ける。しっぽは新聞紙で自分でつくる。この長さ、太さの判断が難しい。ようやくできあがってあげても家の近くには電柱が多くてすぐに電線にひっかかる。ひっかかって取れなくなり、泣きたくなったものだった。

模型飛行機もやはり一銭店屋から買い、自分でつくる。これは学校からも推奨された。戦争、軍用機の時代になっていたからだろう。骨組みの竹ひごなどはすべてまっすぐなので、たとえば翼などのように曲げなければならないところは、蝋(ろう)燭(そく)の火にかざして自分で曲げる。これが難しい。何とかできて今度は薄い紙を貼ることになるが、不器用な私にはこれも大変だ。

今のプラモの組み立てとは質の違う難しさがある。ようやく完成、外に出て動力源のゴムひもをぐるぐる巻き、プロペラを廻して飛ばす。こうして苦労してつくったのに、木や電線にひっかかったり、落ちるところが悪くてこわれたりすると、泣くに泣けない口惜しさだ。

紙カン(紙に火薬の粒を貼り付けたもの)を買って紙カンピストル(運動会の用意ドンのときに打つピストルの小さいもので鋳物でつくられていた、と言っても今の運動会はこれを使っているのだろうか)でパンパン打って遊ぶ。

カマキリの耳元で紙カンピストルを打つとお尻から黒い針金のようなものが出るという話を聞いて、カマキリをつかまえてみんなでやってみる。本当にニュルニュルと出てくる。興味深くみんなで見る(今考えれば残酷な話だが)。

前に述べた「べっきどん」の遊びもそうだが、子どもというものは残酷なものだ。なめくじに塩をつけて溶かそうとしてみたり、トカゲを見つけてはその尻尾を切ったり、クモの巣をこわしてみたり、虫でも何でもおもちゃにした。また、列車が来る直前に蛙を線路の上にあげ、車輪でつぶれるとどんな形になるのか試してみたという友だちもいた。

怖い遊びも好きだ。たとえばみんなでこんな遊びもする。からになったインク瓶(注3)にカーバイド(注4)の白い塊を入れ、それに水を加えて急いでふたをする。瓶の中はぐつぐつと沸騰し始め、白いアセチレンガスが充満してくる。やがてそのガスは瓶の中に収まりきれなくなり、ボンと大きな音をたてて爆発してふたを空高く吹き飛ばす。子どもたちはそれを見て大喜びする。でも怖い。ふたが自分たちめがけて飛んで来るかもしれないからである。そうならないように少し離れてそれを見るが、いくら怖くともやはり面白い。

こんな遊びをしたものだが、このカーバイドをどこから手に入れたのか、買ったのか、もらったのか、近くのプロパンガスの工場から拾ってきたのか、思い出そうとしても思い出せない。

ともかくみんな近所の子どもと遊んだ、遊んだ。年上の子は年下の子の面倒を見てやりながら、いっしょに遊んでやった。
地域社会ばかりでなく、学校社会にも休み時間や学校の行き帰りでの遊びもあった、この説明は省略するが。

今のように塾通いとか習い事とかはほとんどなかった、そんなことをさせられるのはほんの一握りのお金持ちの家、程度の差はあってもみんなみんな貧しく、そんな余裕などなかった。家事や農作業の手伝いはさせられたし、学校の宿題は忘れるなと言われたことはあるが、遊ばないで勉強しろなどと言われることはなかった(中上流家庭、サラリーマン家庭は別にしてだが)。

話は戻るが、駄菓子屋といえば、今NHKEテレで『ふしぎ駄菓子屋銭天堂』というアニメを毎週金曜18時40分から放送している。昔の駄菓子屋をなつかしく思い出させるが、話は怖い、本当に怖い。

今の子どもが見たら、駄菓子屋は怖いところ、たとえ見つけたとしても行かないようにしようなどと思ってしまうのではなかろうかと心配しながら、怖いもの見たさ、ついつい私も見てしまう。90歳近くになってもだ、困ったものだ。

(注)
1.一銭とは一円の100分の1に当たる硬貨(銅貨)で、私の幼児の頃(1930年代後半=昭和10年代前半)は現在の100円から200円くらいの価値があったのではなかろうか。
2.木でつくられた駒もあった。橙色と黄色の二種類の色が塗られ、字や絵が印刷されており、橙・黄の両軍で戦ったはずである。
3.ボールペンができる前に使われた「万年筆」で字を書くために用いられる液体(=インク)を入れておくための独特の形をした小さなガラス瓶のこと。
4.炭化カルシウムのこと。その白い塊を水に入れるとアセチレンガスを発生し、それに火をつけると青白い炎を出して燃え、まわりがすごく明るくなる。その原理を利用した「ガス燈」は祭りの屋台の灯りとなり、さらに戦後よく起きた停電に備えてそれぞれの家が購入し、停電のときにはそれを灯してご飯を食べたり、家事をしたりしたものだった。

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