JAの活動:沖縄復帰50年~JAおきなわが目指すもの~
【特集:沖縄本土復帰50年】合併20年 今、JAおきなわが目指すもの 職員座談会(1)2022年5月30日
不良債権で破綻した多くの離島の農協を抱えて県単一JAとしてスタートして20年。出資金の減資、人員整理など、合併に伴う混乱を乗り越え、いま、沖縄の地理的条件を生かした農業振興をめざし、確かな成果を上げている。合併時から現在までJAをリードしている普天間朝重理事長と、現場で活躍している職員に、合併の経過を振り返り、これからの「JAおきなわが目指すもの」について話し合ってもらった。(進行役はJAおきなわの普天間朝重理事長)
JAおきなわ 総合企画部長 古波蔵清氏
同 元北大東支店長 城間ゆう子氏
同 北部地区本部長 平安山英克氏
同 代表理事理事長 普天間朝重氏〈司会〉
普天間 今年は沖縄の本土復帰50年で、JAおきなわが合併・発足して約20年です。50年と20年を併せながら「JAおきなわが目指すもの」を話し合ってみたいと思います。まず自己紹介をお願いします。
JAおきなわ総合企画部長 古波蔵清氏
古波蔵 大学を出て宜野湾農協に入ったのが昭和60(1985)年12月です。当時は見習い期間が1年あって、正式には61年12月です。半年間購買事業。後は信用共済、管理と歩み、平成25(2013)年に本店に来て、人事部、リスク管理をへて、今は総合企画部です。
平安山 私は農家の長男です。平成2(1990)年、名護農協に臨時職員として入りました。2年後、職員になりました。平成6(94)年には合併してJAやんばるになり、平成14(2002)年にはJAおきなわの大型合併がありました。ほとんど営農指導員、果実の指導員としてやってきました。昨年の7月に北部地区に戻り、地区本部長をやっています。
JAおきなわ元北大東支店長 城間ゆう子氏
城間 私は鹿児島県の霧島の山のふもとで産まれ、結婚して北大東島にきて直ぐに製糖工場に勤めました。飛行場もあり電話もつながっていましたが、テレビが夜2時間しか見られなかったのがショックでした(笑)。義理の祖母の介護で1年間仕事を休み、平成2年にJAに入組利用課に配属、平成9(97)年に経済課に異動して肥料や農薬のチェックを、先輩と泣きながらやった覚えがあります。ちゃんとできた時、先輩がとても喜んで「これからJAは良くなるよ」と言われたのが印象に残っています。その言葉を心に刻んで、農協で頑張ろうと思いました。
アメリカ世の思い出
普天間 みなさんは戦後のアメリカ世(米軍統治下)で育った世代ですね。
古波蔵 私は普天間飛行場のある宜野湾市出身で、米軍基地の真っ只中に住んでいるといっても過言ではありませんでした。米兵とその家族が暮らす「フェンスの向こう側」は、米国映画に出てくるような別世界が広がっていました。ただ、ハロウィンの時などは米軍基地の中にも子どもが入れ、結構仲良くやってました。
JAおきなわ北部地区本部長 平安山英克氏
平安山 お袋がお店をしてましたから「ドル時代」を覚えています。田舎だったんですけど、自分のうちにはテレビがありました。お店っていいなと思ったんですが、おやじはパイン農家で、よく畑に連れていかれ、子守りをしているのかパインの仕事を手伝っているのかわからない状態でしたが、農家って嫌だなという(笑)、変な思い出があります。
本土復帰 「円に慣れるのに苦労」「離島は大変だった」
普天間 昭和47(1972)年5月15日の本土復帰はどう迎えましたか。
古波蔵 私は当時10歳で、小学校低学年なんでよく覚えていません。通貨切り替えで「円」に慣れるのは苦労しました。朝の6時、普天間の神宮前の歩道橋の上から、自動車の右側通行が本土と同じ左側通行に一斉に変わる瞬間を見ました。警官がいっぱい交通整理をしていましたよ。
平安山 おやじが伊江島出身で、戦争で相当苦労したので、戦争を取り上げたテレビ番組を見せられ「戦争の時は大変だったんだよ」と言われました。以前はもうかったパインが復帰後はだめになって、サトウキビに変わっていったのが印象的でした。
城間 私は復帰の時16歳で、大阪で定時制高校に通っていました。復帰では、離島の人たちは大変でした。サトウキビの収穫を支えていた韓国や台湾からの外国人労働者を受け入れられなくなって困り、6月まで収穫したときもあったそうです。義母は出稼ぎに行く決意もしたそうです。
合併前の単協での経験
JAおきなわ代表理事理事長 普天間朝重氏
普天間 次に合併前の単協時代についての話を聞かせてください。
古波蔵 宜野湾市農協に入って驚いたのが事業推進活動の多さでした。時期になると毎週木曜の業務終了後、一斉推進をするんです。そのうち月に1回とかになっていきましたが。私が入る前は、農協は木曜日が休みで組合員宅を回っていたそうです。今のふれあい訪問活動ですね。
当時、若手職員の朝は業務車両の洗車から始まりました。冬は手がかじかんで大変でした。宜野湾農協という看板が入った車を汚すなというのが先輩の教えでした。組合長はよく支店に回ってきて、「備品を大切に」ということで、クリップ一つ、床に落ちていても怒られました。
普天間 名護農協は純農業地域で合併も繰り返してましたね。
平安山 私が入った前年に合併があって、職員同士がお互いに慣れ親しむのに時間がかかりました。平成6(1994)年にヤンバル農協の発足。「農業は大変だ」と思っていたのですが、ふとしたことからミカンに携わり、やりがいと楽しさを感じるようになりました。ただ、安く売れた時にたたかれるのには悔しい思いをしました。だから「農家所得の向上」という今のJAの方針は非常にうれしいです。
普天間 合併を繰り返すと、組合員から「農協が遠くなった」と言われますけど。
平安山 特に窓口の職員が地元の人じゃない時に言われています。ヤンバル農協時代、「ヤンバルは一つ」という考え方で異動しましたが、いいところもあるけれども、地域の方々に愛されるJAになるためにはマイナスもありました。
城間 北大東島では昭和58年ころからバレイショを栽培し始めました。それまでさとうきびオンリーだったのが、小さな島で資金力が無かったのですが、村からの助成を受けバレイショの選別機を導入しました。私は製糖工場を辞めて平成2年JAに入り、それまでの焼き畑農業のハーベスター(収獲)から、葉っぱや梢頭部を土に戻すグリーンハーベスターの導入に取組、土壌に有機質を戻し酷使した土の回復を図る仕事をしていました。
大荒れの合併総会に職員削減に 説明に苦労
普天間 次に合併の話ですが、宜野湾農協は県下一の優良農協でしたから、「他の農協を救済するためになんで宜野湾が犠牲を払わんといかんのか」と相当反対もありましたね。
古波蔵 反対する組合員はかなり多かったです。理事会では何とか承認を得ましたが、問題は合併総会でした。宜野湾農協は経営が安定しており、8%配当していたので、総会でもめることはほとんどなかったんです。ところが合併総会は、スピーカーで話す人はいる、ビラはまかれるなど、異様な雰囲気でした。宜野湾農協の組合長が当時の中央会会長をしていたこともあり、宜野湾農協が賛成しないとほかの農協も賛成してくれないとわかっていて、何とか合併にこぎつけました。
普天間 ヤンバルも、違う意味での混乱がありましたね。
平安山 高齢者が多いこともあって、説明をしてもなかなか理解を得られませんでした。「なぜ出資金が1000円を残してすべて減資されるのか」、担当地区を決め2人ぐらいのペアで一軒一軒回って説得し、印鑑をもらってきました。
私は合併の2年前から、北部地区の労働組合で委員長をやっていました。当初は「合併までに職員を40人減らしなさい」と言われ、合併半年前には、それでも足りない、「あと30人」ということになりました。組合臨時大会の参加者が少なかったので延期し、1週間後にほとんどの組合員の参加を得て開き直し、「みんなで我慢しないといけないよ」とまとめました。
普天間 ぼくは労働組合の県の副委員長でした。労働組合は普通、職員の雇用を守るとか待遇改善をするんですが、面白いのは、農協が「県単一JA構想」でまとまる前に労働組合は賛成してたんです。あれだけ不良債権があるのを見せられ、職場である農協を守らないことには始まらないと考えたのです。
城間 離島では反対の声はなかったですね。ただ、北大東島は本島から遠く離れています。「みんなのJA」というけど、合併後どこまで面倒を見てくれるのかという心配があり、組合長が一生懸命説得していたのを覚えています。
古波蔵 合併後、問題になったのが融資規制でした。当時の宜野湾農協は信用共済、ガス事業で稼いで農業を支えるビジネスモデルだったんです。その柱である信用で、組合員に融資ができないことに苦しみました。
普天間 ヤンバルは農業地域だからメリットは大きかったんじゃないの。
平安山 合併前は指導員の人数が多く農家の手数料も1・5%と安かった。そうした過剰ともいえるサービスの半面、成長戦略が取れませんでした。合併でミカンの選果場ができ、システム関係もしっかりし、専門的な指導ができるようになりました。頑張っている農家には非常に良くなったと思っています。私も労働組合にいたとき反対してましたけど、ファーマーズマーケットに出荷する農家の顔を見ると、合併して良かったなあと思います。そこは、もっと伸ばしていきたいです。
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