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特集:持続可能な世界を拓く SDGsと協同組合

2020.01.16 
鼎談:普天間・下小野田・大金 農業・農協はだれのものか(1)一覧へ

歴史的変革期「進化」の時代へ
普天間朝重・JAおきなわ代表理事理事長 下小野田寛・JA鹿児島きもつき代表理事組合長、大金義昭文芸アナリスト

 国内農業の後退、低金利政策、政府の「農協改革」。いまJAは歴史的ともいえる「農業・組織・経営」の大きな転換期に直面しているといっても過言ではない。これまでの経験が通じない構造的な環境変化にどのように対処するか。「組合員目線」に改めて立ち返り、組合員が「幸せ」を感じられるJAづくりが求められている。国連のSDGs(持続可能な開発目標)が唱えられ、協同組合もその一員としての役割が求められるなか、さまざまな新機軸を打ち出して「ニューリーダー」と注目されるJAおきなわの普天間朝重理事長、JA鹿児島きもつきの下小野田寛組合長、それに進行役の文芸アナリストの大金義昭氏3氏による鼎談の場を設けた。

nous20011610_1.jpg左から大金氏、普天間理事長、下小野田組合長

◆JAへの思い 目的意識もち 大学農学部へ

 大金 令和になって初めての新春を迎え、「持続可能な世界を拓く」という大テーマのもとで、JAの魅力的な「ニューリーダー」であるお二人とお話しができ、大変楽しみにしています。SDGsを念頭にJAの「進化」を実際に求めていく場合、承知しておく必要のある環境・条件の大きな変化が目の前や足元にいくつかあるように思います。

 経済的には平成の30年間に格差が著しく拡大したこと。社会的には少子・高齢化が加速し、人口減少時代に突入していること。自然との関係では地球規模で大災害が多発しています。これは明らかに地球温暖化の影響でしょうね。

 そして農政の動向について言えば、二つあります。農畜産物の総自由化さらには強権的なJAバッシングに見舞われてきたということです。JAが拠って立つこのような構造の変化を、協同組合としてどのように乗り越えていくべきかが、直面する具体的な課題でしょうか。

 そこで「進化」について冒頭にひとこと。自然学者として著名だった今西錦司さんに、おおむね次のような言葉があります。「生物は変わるべき時がきたら、種(しゅ)として遅かれ早かれ、いっせいに変わる」というものです。生物は個体の突然変異によって進化するのではなく、「ゾウはゾウになるべくしてゾウになった」というわけです。

 この言葉を重ねてみると、JAグループの現状はまさに未曾有の変革期にあって、協同組合としての真価を発揮すべき「進化」の時代に直面しているとも言えます。お二人には、そうした変革の時代を象徴するJAの「ニューリーダー」という印象を強く感じます。今日は存分にお話しいただきたい。まずは、JAとの出会いからお聞かせください。
 
 普天間 確かに進化論には、そうした面があるかも知れませんね。植物を生で食べていた人類が、火を発見して調理ができるようになると、糖質が増し、これが脳を刺激して脳が一気に2倍になったと言われています。それが変わるべき時に一斉に変わることなんだと思います。今まさにJAには変わるべき時が来ていて、進化するチャンスなのかもしれません。

 大学は農学部を選びました。私の家は農家でしたが、事情があって引っ越すことになり、その地でサトウキビを栽培している友だちの手伝いに行くと、いつも「こんな大変な仕事はもうやめたい。自分は大人になっての農業はやらない」と。また後継者がどんどん農業をやめている現場を見て、将来、沖縄の農業は衰退すると思ったのがきっかけで、農業に関わる仕事をしたいと考えるようになり農学部に入りました。

 そこで信連(沖縄県信用農協連)のアルバイトがあり、信連の前身である本土復帰前の農林漁業中央金庫の歴史を編纂(さん)する作業をしていて、そのまま信連に就職しました。入会してもしばらくはその仕事を続けました。通史・業務資料・新聞集成・法規通達の4編という大きな作業でしたが、農協の歴史を勉強できたことは大きな収穫でした。先人のみなさんが米国占領時代に大変な苦労をして農協組織をつくりあげてきたことに本当に頭の下がる思いです。そうした先輩方の苦労を学んできたことが、今の自分に活かされているのだろうと思います。

 単協との出会いは、平成14(2002)年4月の県単一JA、つまりJAおきなわの誕生によってです。バブル崩壊で250億円もの全国支援を受けた合併だったので信用事業再構築計画が義務づけられ、JAバンクの監視の目も厳しく、経営責任追及や店舗統廃合・要員削減など相当なリストラを行いました。その責任者の立場でしたから、良い思い出なのか苦い思い出なのか分かりませんが、何とかここまでやって来たという感じです。平成15(2003)年からJAおきなわ改革推進室長、参事などを経て22(2010)年に常務理事、25(2013)年からは専務理事を務めてきました。
 
 大金 「難産の子はよく育つ」と言われますが、JAにしても普天間さんにしても、修羅場をくぐられたご経験が大きな財産になっているのだなと感じます。下小野田さんとJAとの出会いは、どのような経緯でしたか。
 
 下小野田 その前に、東京から遠く離れた沖縄県のJA理事長と鹿児島県のJA組合長とが、こうして身近にJAの問題を話し合うことに不思議なご縁を感じますね。これがJAグループの「強み」であり、同時にやはり時代の変化を肌で感じるところです。

 大金さんのご指摘は共感できます。いまや経済的な格差と社会的な分断が広がっており、この流れを食い止めるのがわれわれJA、とくに「地方」の役割が重要だと思っています。その意味でも、沖縄と鹿児島の意味は大きいと感じます。

 大学は、わたしも農学部を選びました。なにか地球や自然に関係する仕事をという思いがありました。大学を卒業して、昭和58(1983)年に全共連(全国共済農協連)に入会しました。その後、実家の都合で帰郷し、翌年に36歳でJAの非常勤理事に選ばれ、25年間理事を続けています。常務などを経て平成15(2003)年に組合長になりましたが、いったん非常勤理事になって27(2015)年から代表理事組合長を務めています。

 全共連では財産運用部門の仕事をしましたが、そのときの経験、それに全国連の仲間とのつながりができたことが、今も大きな財産になっています。

 大金 民間の保険会社の仕事もされたそうですが、全国連でのご経験も含め、JAを客観的に見る目を養えたということでしょうか。

 下小野田 地元の6JAが、市町村による平成の大合併に伴って一緒になり、新しいJAをつくろうとの思いで非常勤理事になり、初めて組合長に選ばれた時は、若かったこともあって改革を急ぎすぎたと思っています。特に制度や組織のあり方に目が向きがちで、「人」に目が行き届いていませんでした。その反省で、2度目の組合長になってからは、人に目を向ける経営改革を進めるように努めてきました。最初の経験があったからだと思っています。


 大金 下小野田さんが組合長に復活されたのは、「JAをもっと何とかしたい」というご本人の熱い思いと、背中を押してくれる大勢の皆さんがおられたことがあるのでしょうね。ご指摘の通り、制度や組織は案外見えやすく、改革の対象にしやすいのですが、「人」を育てる仕事は地味で時間がかかります。普天間さんは県域JAのトップとして、機構改革のなかで人づくりをどのように位置づけ、取り組んでおられますか。経営理念も含めてお聞かせください。

※ 鼎談:普天間・下小野田・大金 農業・農協はだれのものか(2)に続く

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