焼き鳥・雀・燕【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第352回2025年8月7日

雑穀、小鳥の餌の話を書かせていただいた先々週の初め、家内と二人、老老介護をしあいながら近くのコンビニに入った。買物を終えてレジに並んだらプーンといい匂いがする。何とそのレジの隣で焼き鳥を焼いているではないか。しかも私たちの好きな「皮」、大きな串にたくさん刺してある。二人で顔を見合わせ、すぐ購入決定、その日の夕食のおかず(私はビールのつまみ)にして食べた。
うまかった、本当にしばらくぶり、ビールの苦みはいつもよりもさらにうまく感じた。
私の若い頃(昭和30年代)の仙台、夕方になるとどこからともなく「屋台」が現れて道路脇にずらりと並ぶ。そこから流れてくる焼き鳥のいい匂いに誘われ、その中の硬い長椅子に座る。そして安い焼酎を飲みながら食べたあの焼き鳥、まさに「若かったあの頃」、そして食糧不足、金不足で「飲食に飢えていたあの頃」を思い出す。
それと同時に、雀を思い出す。私の幼い頃(戦前昭和時代)は焼き鳥の鳥は雀だとばかり思っていたからである。そして捕まえて「焼き鳥」にして食べたいと思っていた。
そこからさらに連想は進む、雀というと思い出すのが燕だ。
雀の集団が、また燕の集団が何十羽、いや何百羽となく電線に留まって並んでいるのが見られ、ともに身近な鳥、しかも片や害鳥、片や益鳥として対照的に位置づけられていたからであろう。
私の幼いころ、今から80年以上も前の頃の6月=田植えのころ(あのころの田植えの時期は遅かった)のある日、突然目の前を、何か黒い小さなものがスイーッと横切る。
燕だ。遠い南の国から帰ってきたのだ。もう夏が来るのだ、うれしくなる。
一方、近所の畳屋さんの作業場の天井に燕が巣をつくり始める。そのうち子どもの燕が大きな口をあけてピイピイうるさく騒ぐようになる。親燕が忙しく出入りして子燕に虫などの餌をやる。まちがいなく順番に餌をやっているのだろうかなどと考えながら、糞が頭の上に落ちてくるのを心配しながら、子どもの私は燕親子の様子を眺めていたものだった。
燕は虫を捕まえて食べてくれる、雀は米など人間の食料を食べてしまう、だから燕は「益鳥」で雀は「害鳥」である、子どもの頃私たちはこう教えられてきた。そして雀を追い払うためにさまざまな努力をしてきた。案山子(かかし)などはその一つで、祖父がつくって田んぼのあぜに立てたりしたものだったが、なかなか効果があらわれない。
1960(昭35)年ころではなかったろうか、新中国(できたばかりの中華人民共和国)でこの雀を「人海戦術」で退治しているというニュースが流れたことがあった。農民の家族はもちろん地域住民、さらには都市住民あげて動員され、田んぼのまわりにずらりと並んで一斉に声をあげ、空き缶や鍋、釜をたたくなどする。その音に驚いて雀が飛び立つ。少し経つとまた降りてくる。それを見ていた人間はまた大きな音をたてる。雀は降りることができずにまた飛び立つ。これを繰り返しているうち雀は疲れてしまい、ばたばた落ちてくる、それを捕まえる。こうして雀を全滅させたというのである。
これで雀の害による減収はなくなった。ところが次の年、農作物は虫によって大きな被害を受けた。虫を捕ってくれる雀がいなくなったからである。
雀も虫害対策という点では益鳥だったのである。
燕は益鳥だから捕まえたら罰せられるが、雀は捕まえて焼き鳥にして食べていいそうだ、私たち子どもはそう聞いていた。
だから私たちは「焼き鳥」とは雀を焼いたものだとばかり思っていた。何しろ戦中戦後の肉に餓えていた時代、どんなにおいしいものだろうと想像し、何とかして食べてみたかった。それで、雀を捕まえよう、絵本で見たやり方をやってみようと考えた。それはこういうものだ。
竹で編んでつくられた笊(ざる)を台所から持ってきてさかさまに地面におき、その笊の下の地面に米粒をまく、そしてその笊の片方を小さい棒で持ち上げた支える。その棒には長い紐をつけてあり、その端っこを持って雀に見つからないように子どもたちはかくれる。何分か待つ。やがて雀が飛んできて米粒を見つけ、それをついばもうと笊の中に入る、その瞬間、紐を持っている子どもが思いっきりそれを引っ張る、つっかい棒を失った笊は、中に雀を入れたまま倒れ、バタンと地面に落ち、その笊の中に雀は閉じ込められる、それを捕まえ、その首を手でひねって殺し、羽毛をむしり取り、それを串に刺して焼いて食べる、というものである。
私も近所の友達や弟妹とよく雀が来るわが家の庭で何度かそれをやってみた。しかしそんなに簡単ではなかった。隠れて静かにしないと雀は近づかないし、ざるの下にも入らない。静かに隠れて待つ、ところがそういう時に限って雀はなかなか来ない。とうとう飽きてしまい、また別の遊びに移る。だから一羽も捕まえたことがない。そもそも私たち子どもに捕まるような雀ではないのだが。
そんなことで「焼き鳥」なるものを食べたことがなかったのだが、初めて焼き鳥を食べたのは1950年代後半、当時たくさん立ち並んでいた屋台でだった。屋台からいつもいい匂いがしていた。焼き鳥の匂いだと言う。食べてみた。
うまい。しかしそれは鳥ではなく、豚のモツ焼き、通称「ホルモン焼き」だった。
そんなことがわかった頃、仙台駅前のある飲み屋でまともに雀の焼き鳥を食わせるところがあるという話を聞いた。子どものころからのあこがれ、早速食べに行った。
羽をむしられ、内臓をとっただけの裸のスズメがそのままの姿でこんがりと茶色に焼かれて皿に載せられ、テーブルに出てきた。羽がなくなるとこんなに痩せているのかと驚くほど小さく、肉も少ない。食べて見た。カリカリと音がする。これは骨で、肉はそこについているほんのわずか、食えるが、そんなにおいしくない。がっかりしてしまった。子どものころの夢は実現はしたが、夢と現実とはまるっきり違っていた。
やはり焼き鳥は豚の内臓、鶏にかぎるようである。
その後家内(まだ結婚していなかったが)を連れて行ったが、雀のあの姿を見ただけで、絶対に食べなかった。
それ以後私も食べていない。もう食べさせる店もないだろうな。何か淋しい、
雀や燕が止まって安らぐ電線、それを支える電信柱もない時代、やむを得ないが、せめてもう一度、見てみたいものだ。
それはそれとして、その雀を初めとする害鳥を追い払うためにつくられたのが案山子だった。
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