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JAの活動:持続可能な社会を目指して 希望は農協運動にある

【特集:希望は農協運動にある】現地ルポ:農協の挑戦 3.11震災復興と原発事故 福島の挑戦(2) 先崎千尋 元茨城県ひたちなか農協専務2020年10月13日

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会津電力雄国発電所で佐藤弥右衛門会長(右)と会津電力雄国発電所で佐藤弥右衛門会長(右)と

3:すべては未来の子供たちのために
 会津電力と熱塩加納の学校給食

会津電力は、原発に依存しない再生可能エネルギーによる社会づくりを目指して会津地域の有志が集い、2013年8月に設立された。その中心となったのが「蔵の街喜多方」にある大和川酒造の佐藤弥右衛門社長(現在は会長)だった。
会津地方には只見川を使って年間に400万キロワットの発電量がある。一方、福島県内の電気の使用量は154万キロワット。会津だけだと25万キロワットしか使っていない。佐藤さんの言では「会津の食料自給率は1000%を超えている。会津はエネルギーも食料も自給できている。地元の資源で電気を作っているのに、会津の人たちは買わされてきた」。それなら自分たちで使う電気を電力会社に任せず、再生可能エネルギーで自給自足しよう。それが会津電力の目標だった。
現在は、太陽光発電所と小水力発電所を合わせても6000キロワットとわずかだが、将来は無尽蔵にある木材を利用したバイオマス発電も計画している。生活クラブ生協とも提携している。「水利権が電力会社にあるので、今すぐには取り戻せないけれど、地元のものになり、キロ当たり10円で売電できれば、それだけで3000億円になり、20円で売れば6000億円になり、会津17市町村の総生産高6800億円に匹敵する巨大な金額だ。そのカネが地元に落ちず、東京に持っていかれてしまっている」と佐藤会長は憤りをあらわにする。
佐藤会長の先代(父親・八代目弥右衛門)は喜多方を蔵の街とする運動の先鞭をつけた。それを受け、喜多方市は「ラーメンの香り漂う蔵の街」として売り出し、ピーク時には年間120万人の観光客が訪れるようになった。

喜多方市の北は旧熱塩加納村。そこの農協に小林芳正という一風変わった営農指導員がいた。宮沢賢治に心酔し、朝は頼まれないのに組合員の田んぼに直行し、農協の事務所には夕暮れに行き、帰宅するのは午後8時過ぎという毎日を送っていた。どんな土壌条件なのか、生育状況はどうなのかを全部つかんでいた。小林さんが退職する時、NHKは彼の仕事ぶりを映した特番を組んだ。
1980年には有機農業に取り組んだ。「さゆり米」というブランドを確立し、販売ルートも確立した。その「さゆり米」を子供たちに食べさせたい。小学校のPTAが動き、1989年にその願いが実現し、米だけでなく野菜まで有機栽培のものが提供されるようになり、今日まで続いている。熱塩加納村は2006年に喜多方市に合併されるが、同市は翌年に教育特区の指定を受け、市内の小学校に「農業科」を設けた。小林さんの努力が実ったものと評価される。

学校給食用の野菜洗浄所学校給食用の野菜洗浄所

喜多方市が蔵の街づくりをしていた1971年、大和川酒造は熱塩加納村の低農薬米を使った酒造りを始める。地元のコメを使った地元の酒を造ろうという意気込みだった。大手酒造メーカーに対するゲリラ戦法だった。農協と酒造業界の異端児は、当時「テロリスト(過激派)」と呼ばれていた。今では正統派だけど、と佐藤会長は笑う。
地域内自立と協同。それが会津の風土に似合っている。


農協は地域の人の一生と関わる組織
菅野孝志福島県農協中央会長インタビュー

菅野孝志福島県農協中央会会長菅野孝志福島県農協中央会会長

―菅野会長の農協でのスタートのきっかけは、どのようなことだったんでしょうか。

菅野 私が福島県立農業短期大学校協同組合科の学生だった時、兵庫県淡路島にある北阿万農協に視察に行きました。その時、北阿万農協の穀内定爾組合長から「農協は、人間がおぎゃーとこの世に生まれてから死ぬまで、ゆりかごから墓場までのすべてに関わる組織なのだ」と教えられました。農協は、営農販売、金融、共済、利用、学校、病院まで、公序良俗に反しない限り何でもできる組織で、可能性はすごいと学ばせていただいた。静岡県三ケ日町農協の中川晋さんからも指導を受けました。

―入ったのは松川町農協ですね。

菅野 1972(昭和47)年に農協に入り、営農指導員を13年やらせてもらった。担当は果物、野菜が主で、農青連(農協青年部)の事務局なども務めました。

―1994(平成6)年に、松川町農協が福島市内などの農協と合併して「新ふくしま農協」になりますが、その時も職員だったんですね。役員になったのはいつでしたか。

菅野 2004(平成16)年4月に常務理事になりました。

―合併は、企業の場合は競争力、資金力などを強化するために行われますが、農協の場合には、合併経営計画を見ると、地域との結びつきや組合員個々の暮らしがどうなるかというより、農協としての経営が3年後、5年後にこれだけよくなるということしか見えないんですが。

菅野 結果として合併はやむを得なかったと考えています。ただ、組合員の農協利用率が80から85、90%に上がったかという検証はほとんどされていません。農協の役割は、金額ではなく、生産量を維持、向上させることだと思う。生産量の存在しないところに日本農業の絶対的な再生はない。

―そのために農協のやるべきことはどんなことでしょうか。福島の農協はどんなことをしていますか。

菅野 私は2013(平成25)年に「新ふくしま農協」の組合長になり、2016年の合併により「ふくしま未来」の組合長になりました。組合長として取り組んだことは、農業所得の増大(10%アップ運動)、担い手訪問活動などいろいろあるのですが、特に、組合員の家に常勤役員が出向き、組合員と話をしてくる対話が大事なことだと思っています。

―それはどんなやり方でしょうか。

菅野 「日本農業新聞」に岐阜県の農協でやっているという記事が出ていた。他の農協でできるんだったらオラの農協だってできる、そう考えて2016年12月から始めました。
常勤監事も含めた常勤の役員が17班を編成し、営農指導員を付けて月に1回、認定農業者や生産部会役員などのところを回る。1日に5軒回れば1年で60軒、役員全体では1000軒になる。1時間、2時間もひざ詰めで話をし、お茶を飲みながら、どんなことをしているのか、農協への要望は何かを聞いてきます。聞きっぱなしではなく、農協に戻ってどう応えるかをみんなで協議し、出来ること、改善すること、出来ないことを仕分けし、それを組合員に返していく。

―農協組織は組織体、経営体、運動体の三位一体だと言われてきました。最近は合併により運動体としての活動が弱くなったと言われていますが、今のお話は、農協は運動体だという活動の実践になりますね。

菅野 三つの組み立ての中で大事なことは人だと思う。組合員は人。職員も役員も人。それぞれが高まることをみんなで考えないと、三つがバランスよく動かない。人が動くには学ぶことが必要です。気づかないと動かない。学びと気づきとがかみ合っていく。
人の暮らしというのは極端にすぐよくなるわけではないけど、若い世代の人が、これだったら頑張れるよな、700~800万円の所得をこうすれば目指せる、そう思えるような仕組みを共に考え、農協がサポートしていく、それが大事なんじゃないかな。最初は大変だったけれど、こうした動きが軌道に乗れば、組合員と農協の関わり方は大きく変わっていきます。

―農協がサポートしていくことですね。しかし現実にはそれがなかなか出来ていない。

菅野 私が県内の農協の人たちに言っていることは、若い人たちが喜んで農業できるような環境をどう作っていくかを県内の5農協が本気で考えなくてはならないということです。
国や県、市町村、農協の制度や資金をうまく使い、農協職員がサポートし、育んでいく。農民として一丁前に仕立てていく。
農家の息子が親元で就農して一丁前になるには六年から10年はかかる。そのために1年で200~300万円はかかる。新たな農業者を一人育てるのに2000~3000万円はかかるんです。そこを腹に据えておかないとならない。国の制度は5年、1年で150万円。それではまったく足りないです。「ふくしま未来農協」では、合併して5年ですが、農業振興のために18億円出しています。

―福島県の農協陣営は、東日本大震災・東京電力福島第一原発事故の翌年(2012年)に「JAグループ福島復興ビジョン」を策定しています。その基本理念の最初に「消費者と共生する『安全・安心なふくしま農業』の復興」が謳われています。事故の影響は、数字ではどれくらいだったんでしょうか。

菅野 震災前、2330億円あった農業生産額が、1851億円まで一気に下がりました。これが2018年には2113億円まで戻った。ただ、これは金額ベースですから、生産量がどれだけ戻ったのかはわかりません。ここを農協はきちんと押さえておかないといけない。

―全国農協中央会が7月に発表した組合員調査によると、「組合員の9割以上が農協を必要だと考え、営農、販売事業の期待度が高い」とあります。この調査結果をどうご覧になりましたか。

菅野 農家の人たちはみな農協に期待はしている。しかし、期待しているだけのことを農協はきちんとやっているのだろうか。もうちょっと頑張ってくれ。オレたちはお前たちと一緒に考え、地域の農業をもっと元気にしたいと思っているんだ、そういう声が読み取れます。

―農協のあり方をめぐって、わが国では以前から「職能組合」か「地域組合」かという議論がありました。最近の農水省は、農協は「職能組合」だととらえているようですが、会長はどうお考えですか。

菅野 最初に北阿万農協の穀内さんの話をしました。農協はその地域で人の一生と関わると考えれば、農協は職能組合ではないですね。農村では生業(なりわい)も暮らしも少しずつでも前より良くしたい、そのお手伝いをするのが農協の役割なのではないか。そのことが私のベースになっています。
ただ、先ほどの全中の調査結果のように、農協に対する農業者の期待も大きい。だとすれば、その人たちに応えるための分野である営農指導や販売の技術はもっともっと磨かなきゃと思っています。プロとしての技術を磨くことが必要です。

―福島の原発事故からまもなく10年になります。原発周辺の放射線量は依然として高く、家に帰れない人もたくさんいます。しかし最近は、国や県、メディアまで事故のことや避難者の実情には意識的に触れないで、国民に忘れさせようとしているように見受けられます。その中で、福島第一原発の事故現場から出ている汚染水の処理を、政府や東京電力は海中放出させようとしています。会長はこれについてどう思われますか。

菅野 福島の復興は、これからの10年で本当の意味での再生に向けての取り組みをしていかなくては、と思う。汚染水の海中放出には、個人としては反対です。ただ、私たちがどうのこうの言うよりも、まず漁協が県民に何らかの形でメッセージを発して、私たちはその思いに沿いながら、どうするのかを考えていくということだと思います。

 

【取材を終えて】
福島県は私が住む茨城県の北隣にある。大学1年の時に同県東白川郡古殿町に農村調査に入った。以後、三春町、二本松市、三島町、熱塩加納村などに足繁く通った。三春町の総合計画策定とまちづくりの手法、二本松市農協の青空市と農産加工、三島町の地域資源を活かしたまちづくり、熱塩加納村の学校給食への取り組みと酒米提携などは、農協運動と行政運営での私のお手本となった。昔の仲間に会い、新しい人との出逢いができた取材だった。

今回の取材でも、人づくりの大事なことをお聞きしたが、地域には無限の資源と可能性がある。それを活かすのは人だ。農協組織、行政、企業もうまくいくかどうかは人次第。もう一つ考えたことは、農協運動はエンドレスのリレーであり、担い手は前の事績を着実に受け継ぎ、次のランナーにつないでいく。ランナーの仕事の一つに、後継者を育てることもある。飯舘村のむらづくりには、わが国の協同組合の元祖である二宮尊徳の仕法が伝わっている。「歴史は人を作り、人が歴史を作る」。そのことを改めて感じ取ることが出来た。(先﨑)


1:素早い対応で危機を乗り越える
 新ふくしま農協の対応-吾妻雄二経営管理委員会会長(当時)に聞く

福島第一原子力発電所3号機


 

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