農政:持続可能な世界を拓く SDGsと協同組合
随想:山田順子 都市の生活支えた農民と下層労働者-江戸時代の暮らしに学ぶ持続可能な社会2020年1月11日
「持続可能な世界」とはどのような世界のことをいうのか? 歴史的にはどうなのか? 明治維新以前の社会・江戸期は環境に優しい循環型社会だった…という意見も聞かれるが、本当にそうだったのか。時代考証家として著名で、信州・真田で耕作放棄地をソバ畑にと奮闘されている山田順子氏に寄稿していただいた。
長野県上田市真田町のソバ畑
私の職業である「時代考証家」とは、テレビドラマや映画で時代劇を製作するとき、舞台となった時代を正確に表現できるよう、製作スタッフにアドバイスをする仕事です。
平成21(2009)年に担当したのが、TBSのドラマ『JINー仁ー』です。現代の脳外科医がタイムスリップして、江戸時代に行く物語でした。そのため、以後の講演会やマスコミ取材で、「江戸時代に暮らしてみたいですか?」という質問を度々受けます。
私の答えは「暮らしたくはありません」です。質問者は江戸に詳しい人は勝手に江戸好きと決め込んでいるためか、意外な顔をして「なぜですか?」と聞き返します。「ポッチャントイレは苦手です」とお答えすると、もっと高尚な答えが返ってくるかと期待していたのか、がっかりされます。中には「ポッチャントイレって何ですか?」と突っ込んでくる若い方がいるのには困ります。昭和30年代に田舎で育った私にとって、ポッチャントイレはかなり深刻な問題だったのです。
冒頭から「ポッチャントイレ」のお話で恐縮ですが、江戸時代の持続可能な社会の最も典型的な例だからです。
慶長8(1603)年、徳川家康が江戸に幕府を開いたため、江戸は日本の事実上の首都になりました。そのため、江戸中期の享保年間(1716-1736)には、現在のJR山手線の内側くらいの面積に100万人以上の人たちが暮らす大都市となりました。同時代の世界の都市と比較して、最も人口の多い世界一の大都市です。
そこで問題となるはずだったのが、100万人が出す糞尿と、生活ゴミです。世界の他の都市を見ると、ロンドンやパリでは、毎朝住宅の窓から、室内用の便器に溜まった糞尿をまき散らしていました。しかし、江戸の町の通りには糞尿どころか、ゴミ一つ落ちていなかったのです。
では、江戸の人たちが排泄したものは、どうしたのでしょうか。その答えが「ポッチャントイレ」です。毎日出る糞尿を貯めて、一定の間隔で農家の人たちが集荷し、畑に運んで農作物の肥料にしました。また、家庭や飲食店から出るゴミも、「浮き芥定め浚え請負い人(うきあくたさだめさらえうけおいにん)」という幕府の鑑札を受けた業者の配下の人たちが集めて回り、分別をして金属など売れるものは売り、売れない有機質のものは、農村に運んで肥料にしました。
こうして、都会から出た糞尿やゴミは農村に行き、肥料となって、農作物を育て、育った農作物は再び都会の人たちの食糧になるという循環を繰り返していました。
さらに、ポッチャントイレに関していえば、そこで使った紙(トイレットペーパー)も、そのまま肥溜めには捨てず、便器の横に置いてある屑籠に入れておきました。するとこれも「紙屑買い」という専門の業者が買い取っていきました。
買い取られた紙は、水に晒して汚れを落とし、再び紙に漉(す)き直したのです。手作業で漂白剤も使わないため、十分に汚れが落ちていないこともありました。江戸の人はそんなことは気にせず、再びトイレットペーパーとして販売されたのです。江戸では、初期の作業場が浅草にあったことから「浅草紙」と呼ばれていました。
これらは、江戸の町に限ったことではなく、全国にあったことです。
こうして、お話すると、「江戸時代は3R(減らす、繰り返し使う、再資源化する)で環境にやさしい持続可能ないい時代だったんだね」になります。
しかし、この循環を支えていたのは、糞尿を運ぶ農民であり、日々の食事に事欠く最下層の人々の安い労働力だったのです。この労働力が無かったら、江戸時代の3Rは成り立ちません。これが果たして、いい時代だったのでしょうか?
また、衛生という視点では、かなり問題があります。ドラマ『JINー仁ー』の中でも、幕末に流行したコレラを取り上げましたが、江戸時代の人たちは糞尿による伝染の可能性には気が付いていませんでした。
そんな江戸時代に、「暮らしたいか」聞かれたら、私は江戸時代を学べば学ぶほど、「まっぴらごめん」と言いたくなります。
◆ソバ畑づくりに近隣から苦情!
話変わって。私も農民の一人です。2011年から長野県上田市真田町で、2000坪の畑にソバを栽培しています。他にもクルミやクワの実を収穫したり、食用のタンポポを栽培するために1000坪の土地を管理しています。もちろん、本業の時代考証の仕事もありますから、地元で手伝ってくださる方を雇ってのことですが、かなり本格的な農業をしています。
きっかけは、真田町に別荘を持ったことです。ちょうどその頃、上田市では、大河ドラマ誘致運動の真っ最中で、観光マップ作りなどをしていました。しかし、真田氏の屋敷址など一番観光名所になる一帯に、耕作放棄地が広がり、背丈ほどのオオブタクサが茂っていたのです。
「これでは、せっかく大河ドラマが決まっても、全国から来る観光客に、こんなひどい耕作放棄地を見せるのは、真田の恥になりませんか!」と、つい時代考証家の正義感が言ってしまったのです。
その一言がきっかけで、私自身が300坪の放棄地を預かることになりました。そこで、どうせなら、戦国時代の風景を取り戻そうと思い、とりあえずソバを栽培することにしました。しかし、何年も雑草が生い茂っていた畑は、除草しても除草しても草が生えてきます。除草剤を使いたくなかったので、ひたすら人の手で草取りです。しかも、ソバを収穫するのに、JAのコンバインをレンタルすると、収穫したソバの販売価格より、コンバインのレンタル代の方が高額になるという問題が生じました。
1年目の様子を見ていた隣接する土地の地主さんからも土地を預かって欲しいという要望が出て、毎年耕作面積は広がり、とうとう3000坪に広がってしまったのです。お蔭で2016年に大河ドラマ『真田丸』が放送された年には、見渡す限り、白いソバの花が咲いて、観光客に喜んでいただきました。
しかし、問題は山積みです。収穫後のソバの茎や、除草した草を干してから燃やしたら、200メートル以上離れた住宅から苦情がきました。
なんでも、スローライフを求めて、都会から移住してきた家族だそうで、洗濯ものに匂いが付くというのです。また、隣のりんご園の農薬散布をしている人から、煙くて作業にならないと言われてしまいました。さらに、焼き畑農業と勘違いしてか、CO2問題をいう人まで現れてきました。
持続可能な農業をしていたという江戸時代の農家は、こんなとき、どうしていたのでしょうか。草木灰はカリウムと石灰分があり、いい肥料になったと思うのですが。現代に生きる私は、致し方なく、昨年から刈り取った草を粉砕するモア式の草刈り機を購入して、畑に鋤き込むことにしました。
現代の農民である私は、「ポッチャントイレ」から糞尿を運ぶことをしなくてよくなりましたが、その代り、販売価格の数倍の経費がかかる農業をしています。
「江戸時代の暮らしに学ぶ持続可能な社会」という標語からは、何が見えてくるのでしょうか。本当の江戸時代を知らない人たちの机上の空論にしか見えません。
自戒を込めて言わせてもらうなら、テレビや映画の時代劇も含めて、都合の悪いことには蓋をして、本当の江戸時代を見ていないのです。どれだけ、人々の犠牲や我慢の上に、持続可能な社会が築かれていたのか。
やはりこれからは、我慢しかないような気がします。
時代考証家 山田 順子
1953年広島県生まれ。専修大学文学部人文学科卒業。CMディレクター、放送作家を経て時代考証家に。1982年から『クイズ面白ゼミナール』(NHK)の歴史クイズの出題・構成を担当。以後多くの番組の時代考証と構成を担当。代表作にはドラマ『JIN-仁-』(TBS)『一休さん』(CX)『天皇の料理番』(TBS)『サムライせんせい』(テレ朝)『この世界の片隅に』(TBS)がある。自らもテレビ・ラジオ出演や講演会などで歴史解説を行い、江戸東京博物館の『ぶらぶら町人』などのイベントやテレビCMの時代考証も行う
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